Interview-Takehiko Yamada/FILE-UNDER RECORDS / Knew Noise Recordings 前編

FILE-UNDER-名古屋市中区大須

2002年に名古屋市にオープンして以来、現行アーティストを中心としてSSWからインディーロック、エクスペリメンタルなどジャンルを問わず幅広くセレクトしており、そのラインナップは様々な層のリスナーやアーティストからの支持も厚い。また、ローカルを中心とした国内アーティストとの関係も深く、個性際立つ音源のリリースやライブイベントも開催している。今回はオーナーの山田氏にFILE-UNDER RECORDSの成り立ち、音楽遍歴、自身のレーベルKnew Noise Recordingsなどについてインタビューを行った。
取材/Hata(Soloist Anti Pop Totalization),Miyapon(in the middle)

-まずはFILE-UNDER RECORDSを始めたきっかけを教えてください。

きっかけとしては特に明確なビジョンがあったわけではなく、好きが高じて始めたという感じです。割と多いパターンなのかなと思います。お店を開いたのは38歳の時です。それまでやっていた仕事も上手くいってなかったわけではないけど、どこか満足出来ない部分はあって。昔からレコード屋をやりたいという気持ちがあり、年齢も結構いっていたので、やるんだったら今しかないかなといった具合で思い切って始めました。

– FILE-UNDERを始める前は音楽とは関係のない仕事をしていたのですか?

そうです。大学を出てから最初の会社で2年半働いてからイギリスに行って。90年の11月ですね。3か月くらいイギリスに行って、その後また別の会社に就職して11年間営業職をやっていました。そこを辞めて2002年の8月にお店を立ち上げました。

-イギリスに行った時に現地のレコードショップなども訪問したかと思うのですが、やはりFILE-UNDERを始めるにあたってその辺りの影響はありましたか?

いや、1回目の90年に行った時にもちろんRough Tradeなどにも行きましたが、それらに触発されたというわけではないですね。それよりは帰ってきてからの就職先で、わりとちゃんとした給料を貰ってガンガンレコードを買うようになったことの方が大きいかもしれないです。

当時音楽の知り合いで仲が良かったうちの一人がAnswerの中村君で。実家が近所ということもあり遊びに行ったりもしてたんですよね。だから中村君の影響も大きかったのかもしれないですね。

なのでイギリスのレコードショップにいって「うわあ これがやりたいな」っていうよりは、わりと周りの友人にも恵まれていたし、彼らを見てたりしてレコード屋をやってみたいなって気持ちがずっとぼんやりとくすぶっていて。それが2002年なって形にできたという感じです。

-個人的にはRough Trade EastとかグラスゴーのMonorail MusicとかリーズのNorman RecordsとかJumbo Recordsとか…地域に根差したローカルなショップなんだけど、特定のジャンルに寄っているというよりは幅広く取り扱っているお店のイメージがFILE-UNDERと共通しているなと思っていたのですが。

そうですね。そういった意味では、お手本にした海外のレコード屋はリーズのNorman Recordsですね。Normanは通販にも力を入れてて、オーナーのフィルともメールでやりとりをよくしていたんですが、Normanの存在は大きかったですね。

-ただ、それらのレコードショップよりむしろ名古屋の身近な人たちに感化されて始めたんですね。

そうですね。大須のAnswer、矢場町のOut Record、上前津のrail、栄のarch records、あとはAntonio Threeの安田くんやStiff Slackの新川くん、当店の近所にあるZooのKazooくんとかがいた大須の円盤屋とか。その辺にずっと通ってていろいろ教えてもらったというのもあるし、僕はジャンル関係無くいろんなとこに顔を出していたんですけど、いつか自分もやりたいなというのはずっと思ってて。

– FILE-UNDERはジャンルに特化していなくて、かつローカルに根差して、地元のインディーのアーティストも扱うというところもまた良いですよね。

でも最初にお店を立ち上げた時は、完全に洋楽だけでやろうと決めていたんです。やっぱり一人でやっているし、なんでもかんでも扱うことはできないじゃないですか。まずやりたかったのは、現行の洋楽のアーティストなんです。今でこそ名盤の再発も多いですけど、当時2002年くらいだと・・・例えばLibertinesやStrokesなどがデビューした頃なんですね。そういった現行アーティストにどっぷりハマってて。

あとリスナーとしても、若い時からあんまり中古盤を買わないタイプだったんです。もちろん全く買わないわけではないんですが、1万円のレア盤を買うんだったら聴いたこともない全然知らないアンダーグラウンドの7インチを10枚とか15枚買いたい人だったんですよ。90年代も現行アーティストをずっと掘っていたので、やっぱりそういうお店をやりたいっていうのは念頭にありました。中古盤をメインにやりたいっていう考えはなかったですね。

FILE-UNDER RECORDS

-現行アーティストやそれらをリリースしているレーベルというのを重視してたんですね。

現行のアーティストやレーベルもしっかりとフォローしているお店が好きだったというのはあります。僕は7インチが大好きで。地元で手に入らないものは、東京や大阪まで買いに行ったり、あとは海外通販を良く利用していました。なので、そういったものを置きたいとは強く思っていました。

-たとえば具体的にどのあたりのレーベルですか?

話し出したらキリがないですけど、90年代は、オルタナ、グランジ、ローファイ、ブリットポップ、インディポップ、音響系とか世界中で同時多発的に様々なムーブメントが出てくるんですけど、そのあたりの新人の7インチをメインにイギリスから通販しまくっていて。注文しすぎて「この量は個人じゃないですよね?」って、税関から呼び出しくらったりしてました。

-90年代後半ってLo-Fi,Sci-Fi系の7インチ文化はすごかったですよね。東京だとライブハウスシーンはジャンクとかハードコア、US系が多くて。でも山田さんが好きなような7インチが置いてあるお店って当時江古田のZeroくらいしかなかったような気もして。

ざっくりインディ系だと、西新宿ならRough Trade、Vinyl Japan、Vinyl Junkie・・・Rock Shopとか。Barnhomes、Nat、Woodstock、新宿レコードあたりも良く行きました。

あと高円寺のLinus Recordsと渋谷のSome of Usの二店には、FILE-UNDER開店に際して大きく影響を受けました。実はZeroは一度も行けなかったんですよ。リリースものは買っていたんですけど。

-Zeroは90年代にはすごい通ってましたね。そこで7インチ文化に触れたというか。

80年代、僕が大学生の頃は渋谷のZestの最初の店舗に一番行ってましたね。Nick CaveがBad Seedsでデビューしたぐらい。

-当時ある意味珍しいくらい…純粋というか、熱心なリスナーとして買い漁ってたんですね。

そんなにジャンルにこだわらず色々買っていましたね。

-Barnhomesにも通ってたんですね。

そうですね。東京に行った時に。90年代のガレージムーブメントはすごかったですよね。名古屋にRaunch Handsが来たときは、最前列でAnswerの中村くんと観たのを良く覚えています。その辺りの音楽は東京で買うならBarnhomesかなって感じでよく行ってました。

-90年代にイギリスに行った時、リアルタイムでいろいろライブを観たんですよね?

イギリスは90年と93年に行ったんですけど、93年の時はゴールデンウィークを使って10連休で行っただけなんでライブはほとんど観てなくて。一回目の90年の時は11月の末に行ったんですよ。僕はもともとThe Fallが一番好きで、The Fallをどうしても観たくてライブの日程に合わせて行ったんですよね。会社も辞めて。

The Fallの78年のデビューシングルから85年まで初期7インチ-山田氏の私物から

ただ、90年の時の年末年始ってほとんどライブをやってなくて。今だったらカウントダウンのオールナイトのイベントとかもあると思うんだけど当時は全く無くて。12月の半ばから新年明けるくらいまではほぼライブはやってないような状態で。ちょっと行く時期を間違えたかなってのは今でも後悔してるけど…まあThe Fallを観たかったんでしょうがないんだけど。

-The Fallはちゃんと観れたんですか?

うん。イギリスに着いて最初のライブはThe Fallでしたね。ブリクストンで観て。

-すごいですね…!

でもBrixton Academyではなくて。駅を出てBrixton Academyとは反対側の真っ暗いエリアにThe Fridgeっていう…80年代初頭はニューロマンティック・ムーブメントの聖地、その後80年代後半からは、SOUL II SOULがホストを務めヒップホップ/ダンスミュージックメインのクラブへと変わっていくキャパ1800人の大きなクラブなんですけど。

-ブリクストンは僕も一回ライブやりましたけど怖い場所もありますよね。

90年くらいはまだ怖かったですね。

-そうですね。怖かったので駅まで走って行った記憶がありますね。

そう、そんな感じでしたよね。

-やっぱり山田さんはThe Fallが好きというのは話してても感じます。

そうですね。自分のベスト3は何かって言われたらThe Fallは挙げますね。

-残りの2つはなんですか?

うーん…ベスト10くらいだと言いやすいんだけど(笑)。あえて絞るなら、The Birthday PartyとSerge Gainsbourgかな。

The Birthday Party
Serge Gainsbourg

-なんか山田さんらしいですね。

そうかな(笑)

-The Fall, The Birthday Partyと来たら普通だとポストパンクが来ると思いますけど(笑)

Pop Groupとかね(笑)

-なんとなくお店のルーツとかも見える感じですね。元々その手の音楽にハマる前はどういったものを聴いていたんですか?

それはすごい昔…めちゃくちゃ若い時の話?洋楽に目覚めた体験、みたいな(笑)

-それ以前でも(笑)

うーん…小学校の時は太田裕美とかが好きだったんですよ。木綿のハンカチーフの。それで中学生くらいになってDeep PurpleとかQueenとかそういうのを多分ラジオで聴いて洋楽も気になりだして。当時洋楽だと学校の音楽の授業とかでBeatlesのYesterdayとかCarpenters のYesterday Once Moreとかその辺が出てくるぐらいだったんですけど、友達とかが知らないようなものに興味が惹かれる感じがあって。それでCheap Trickとかをちょこちょこっとラジオで聴いてました。でも13,14の時に一番ガツンと来たのはJapanでしたね。

-なるほど!

ビジュアルもあるんですけど、そこから入ったわけじゃなくて。中学生の時、平日の夜7時半ぐらいにつボイノリオがラジオの番組をやっていたんですけど、それのCMで「ロンドンからの新星 Japan!」みたいなスポットCMが流れたんですね。デビューシングルの「奇しい絆」っていう曲のイントロが流れたんですけど、それに衝撃を受けて。バンド名も覚えやすいじゃないですか。それで次の日に本屋の音楽雑誌を見に行ったんですけど、何を買っていいかわからなくて。なのでとりあえず「このミュージックライフっていうキレイなお姉さんが表紙のやつを買ってみよう」って買ったんですけど、そのお姉さんがデヴィッド・シルビアンだったんですよ(笑)

-(笑)

Music Life-山田氏の私物から

こんなビジュアルなんやって思って(笑)。そっからもうメチャクチャハマっちゃったって感じかな。それが1stアルバムの78年とかで3rdが中学三年から高校一年生くらいかな。一番好きなのはとにかくJapanでしたね。中学の音楽の授業の歌のテストで「奇しい絆」を歌うくらい好きでした(笑)

-Japanは当時、日本で本当に人気ありましたよね。

初来日からいきなり武道館でしたね。やっぱりビジュアルも良かったし、女性からの人気がすごかったですね。僕もビジュアルにやられたっていうのもあるんですけど、1st のああいうちょっと退廃的でグラム入ってるけどダークな感じというか。あの感じに異様に惹かれましたね。なんでそこまで惹かれたのかはわからないんですけど。

日本だとその頃はキャンディーズが解散して、ピンクレディが出てきた時で。キャンディーズぐらいまでは日本のそういう音楽も聴いてたんですよ。実際キャンディーズの後楽園球場の解散ライブの3枚組LPとかも買ってたりとかして(笑)。でもピンクレディーが出てくるぐらいでそういうのに全く興味が無くなってしまって。その時期くらいから原田真二とか世良正則&ツイストとか、日本のはそういうちょっとロックっぽいのを聴いてたって感じですね。

その頃から洋楽もレコードを自分で買ったりするようになって。79年が高校一年生で、The ClashのLondon Callingが出たんですけど、Slits、Raincoats、Pop Groupもその時期で。Cabaret Voltaireだと、The Voice of Americaの直前くらいなのかな。とにかく一度にニューウェーブみたいのが出て来て。同時にIron MaidenとかいわゆるN.W.O.B.H.M.とかも出て来てっていう感じで。

たとえば当時はRockin’onを買ったら巻頭インタビューがブルース・スプリングスティーンなんだけど、次の記事がThrobbing Gristleだったりとか。自分もとにかくジャンル関係無しに興味持ったものは全部聴いてみたいってなってどんどんハマっていった感じですね。でもみんなそうだったと思いますよ。当時は情報源も少なかったんで。メジャーもアンダーグラウンドも耳に引っかかったものは「これはヤバいぞ!」みたいな感じだったと思いますね。

-昔のRockin’onを見ると、ハードロックとニューウェーブが混ざっていて雑多な感じでいいですよね。

そうですね。Rockin’onだとレビューしてる人がディスクレビューというより自分の思想を語ってるみたいなね、そういうのも多かったんだけど(笑)。でもそういうのって15,6歳だと感化されるじゃないですか(笑)。なので英和辞典片手にIdeologyってなんだ?Identityってなんだ?みたいに調べてルビをふってなんとか理解しようとすごい一生懸命頑張っていましたね(笑)。そっから高校生とか18くらいになるとFools MateとかRock Magazineの存在を知るようになって徐々に、Rockin’onとかも買わなくなりましたね。

Japanをきっかけに洋楽にハマってニューウェーブとかに手を出すんですけど、なおかつRainbowとかJourneyとかWhitesnakeとかStyxとかの来日を観に行ってましたね。オーバーグラウンドの売れてるものも普通に好きでしたね。初めて観た洋楽のライブはIron Maidenの初来日でしたね。1stアルバムのポール・ディアノがボーカルだった時。まだパンクっぽい頃、81年ぐらいじゃないかな。名古屋に来て。その時のライブがオフィシャルで12インチで出てるんですよ。

-日本のインディーズは同時並行で聴いてなかったんですか?

日本のインディーズは高校の時に、Rockin’onの渋谷陽一のラジオとか聴いてて。そこでじゃがたらとかアーントサリーとかFrictionとかを知りました。それらをカセットに全部録って繰り返し聴いてましたけど、当時は日本のインディーズを買うってことはあまりしてなかったかもしれないですね。あまりお金も無かったし、洋楽を買う方に使っていましたね。

実際にライブに行き始めるのも大学入った18歳くらいでしたね。大学の友達がP-Modelが好きで大須のElectric Ladylandに観に行ったりとか。それこそ2019年の17周年のイベントに出てもらったソドムとかSadie Sadsとかのトランスレコード、ヴェクセルバルグ系などを通じて、日本のニューウェーブやゴシックにもハマっていった感じかな。それと同時にLip CreamとかGustankとかKenzi &The Tripsとかも、行けるときは片っ端から行ってましたね。一番好きだった名古屋のバンドは、割礼ペニスケース日曜日の青年たち(後に割礼に改名)でした。

-結構ライブにも行ってたんですね。

ただ当時は名古屋市内に住んでいなかったので、名古屋市内に住んでたらもっと行けたんじゃないかなって思いますね。

あとハックフィンが80年代後半までは今の半分くらいの大きさだったんですよね。今の地下1階部分が元々は3つに分かれてて。一番奥がハックフィンの前身のイースト・グッドマンって名前のジャズのライブもやったりしてるスペースで。それで真ん中には中古レコード屋があって。一番手前にはヤゴっていうフォークロック喫茶があったらしいです。その時代は僕は知らないんですが、原爆オナニ―ズのTaylowさんはその中古レコード屋に良く行ってたと言っていましたね。

その後中古レコード屋が無くなって、手前半分側が時計じかけっていうロック喫茶だったんです。17,8の時に同級生がそこでバイトしてて連れていかれてたんですけど、その経験がすごく大きかったですね。一番自分に影響を与えたスペースはどこかと言われたら、ロック喫茶の時計じかけですね。

そこはアルバイトの人が適当にチョイスしたLPの片面をとにかく爆音でかけるところで。店内は真っ暗で裸電球がちょっとぶら下がってるくらいで、目が慣れるまで30分くらいはお客さんの顔も全く見えないくらい暗くて。会話もできないくらい爆音でレコードがかかってる。定番のビートルズ、ストーンズ、キンクスとかグラムロックとかもかかるんですけど、SPKとかも流れてたんです。そういうのを超爆音で浴びたっていうのが経験としてはデカかったと思いますね。ジャンル関係無しに色んなものを教えてもらったり。

-同世代の人たちがみんな同じ場所に通ってたんですね。僕も昔新宿のローリングストーンっていうロック喫茶に行きましたけど。

僕も行ったことありますよ。時計じかけに比べたら店内は明るかったですけど(笑)。時計じかけはホントに真っ暗で。音も他のロック喫茶と比べても爆音だったと思いますね。

-でも多分だいぶ前に、いわゆるロック喫茶っていう文化は無くなってしまいましたね。

今だとロックバーになるのかな。音楽を聴いて店主と話したり。時計じかけは会話する時は耳元で喋らないと全く聴こえないくらいの爆音で。なのでほとんど一人でいって、なんか飲みながら6時間とか7時間とかずっといる感じでしたね。

-本とか読むでもなくずっと爆音で聴いているんですか?

一応本は置いてあったんだけど。それを暗い中で読んでたせいで目が悪くなった気がする(笑)

-あとはカップルがイチャイチャするとかですよね(笑)

時計じかけでは、イチャイチャしてるカップルは店長につまみ出されてたね(笑)

ハックフィンの2階のPAブースが時計じかけの2階部分だったんですよ。今のハックフィンの扉部分辺りが壁になってて、奥がハックフィンで手前が時計じかけ。当時のハックフィンはステージが無くて。ゾルゲとかリアルとかBoredomsの最初の名古屋のライブを観た頃です。

-でもなんだったんですかね、あのロック喫茶っていう文化は。なんか良い空間でしたけどね。今だとRippleがある意味その感じを受け継いでるとも感じますけど。

うん、Rippleにはあの頃の今池の雰囲気を感じますね。

-今爆音で聴ける喫茶店なんかないですもんね。

知らないだけで、そういうとこもまだあるかもしれないですけどね。

-今だったらクラブでDJやってるみたいな感覚ですよね。でもロック喫茶ってリクエスト表みたいな紙があって、自分が聴きたい曲を順番待ちしていて「あっ!やっと流れた!」みたいなワクワク感もありましたけど。

ノイズ狂の友人が時計じかけでバイトしていて、他にお客さんがいるとあんまりかけれないんだけど、僕とかしかいないときはガンガンかけてましたね。

やっぱり爆音で色んな音楽を浴びたという経験があったのは、僕にとって色々と大きかったんじゃないかという気がしますね。

-爆音で浴びてなかったらレコード屋やってなかったかもしれないですね。

うん。違ってたかもしれないね。

-そこの衝撃が忘れられないというのもあるんでしょうね。

そうですね。人生を変えた場所はなんですか?と聞かれたら時計じかけは挙がりますね。あとはライブハウスだったらハックフィンとかElectric Ladylandですね。あとはTokuzoの森田さんがやられていたOpen House。森田さんはブルースの方なんですけど、パンクやニューウェーブバンドもたくさん受け入れていて、そういうところは現在の今池にもしっかりと受け継がれていると思います。

-80年代のElectric Ladylandはすごく憧れでした。好きだったバンドがでよくやっていて、そのライブ音源とかカセットで聴いて。名古屋っていいなってすごい憧れてましたね。

でも85年くらいから日本のものをあまり聴かなくなっていたんですよ。イギリスに行きたいという強烈な思いが出て来て、お金を貯めないといけないというのもあったし、より洋楽の方に…というか元々が洋楽が好きだったからどんどん戻っていったって感じですね。

その頃くらいはJesus & Mary Chainが出てきたり、The Smithsが絶頂期だったり、ネオアコースティックやポジティヴパンクやインダストリアルとか、刺激的なバンドがどんどん出てくるから洋楽が楽しすぎて。

-いい時代ですよね。

85年にAuto-Modの解散ライブを後楽園ホールで観たんですよね。11月3日の文化の日だったと思うけどその2日前がNick Cave And The Bad Seedsの初来日だったんですよ。それも後楽園ホールで。なので5日くらいずっと東京にいて、ライブ観て帰ってきたって感じでした。

そのあと86年に、ソドムとZEITLICH VERGELTERのツーマンを新宿Loftで観たんですけど。日本のバンドに入れ込んで、東京までライブ観に行くってことをしてたのはその時期くらいまでで、一度そこから離れちゃいましたね。

-では85年くらいから2000年くらいまではわりと洋楽の方に行ってたんですね。

後編に続く