Interview-Ryo Hisatsune/Studio Zot,Transkam,moleslope 後編

前回はStudio Zotについて色々教えてもらいましたが、久恒さんの音楽遍歴、これまでのバンド活動についても教えてください。

母親が邦楽を聴かないで洋楽が好きなタイプで、特にイギリスのロックが好きでしたね。親父は演歌とか好きな感じだったんですけど。それもあって小学生6年生の誕生日の時にビートルズのCDを買ってもらった記憶があります。あとはビージーズとか小学生の時は聴いてました。その前からテレビ番組の西遊記の影響でゴダイゴにずっとハマってたんですよね。ガンダーラのイントロのギターが弾きたい、ギターやりたいってなって思ってて、音楽雑誌のギターと教則本とアンプがセットで2万円、みたいなのあるじゃないですか。あれを中学生の時に買ったら教則本の練習曲にガンダーラが載ってて、ドンピシャじゃん!ってなって。それで頑張って教則本に書いてある通りにコピーしたんですけど、CDで聴くガンダーラと全然違ってショックを受けた苦い思い出があるんですけど(笑)

ギターを始めるきっかけはゴダイゴだったんですね。

その後は友達の影響でBOØWYとかXが好きになって、いわゆる中学とかでバンドやってるやつらの好きな音楽ですね。V系は結構ハマりました。BUCK-TICK、LUNA SEA、BY-SEXUAL、SOFT BALLET、とか、インディーのマニアックなやつとか。特にBUCK-TICKがすごく好きになって、中学の時にコピーバンドをやりましたね。自分は剣道部に入ってたんですけど、部活が一緒の幼馴染がバクチク聴かせてくれて、そしたら皆聴き出して同学年の部員全員BUCK-TICKが好きになっちゃって、そこからバンドやり始めました(笑)

Buck-Tick ‎– Taboo(1989)

高校に入ったら、メロコアブームだったからGreen Day、NOFXとかハイスタとか。KORNとかもめっちゃ流行ってたんで、ミクスチャーも聴いてましたね。最終的に高3くらいにはCANDIRIA聴いてました。

だけど、一番最初にいわゆるライブハウスって感じのとこに1人で観に行ったライブはラモーンズだったんですよね。解散前くらいのAdios Amigosツアーで日本に来てたんです。足の踏み場なくて床が見えないくらい人が入ってて、めちゃくちゃすごかったですね。人間の波でうねって、ハシからハシまで飛ばされるくらい盛り上がってて。なのでライブハウスのイメージというか原体験はそれなんですよね。

Ramones ‎– ¡Adios Amigos!(1995)

で、どんどんそういうのも聴いていって。ExploitedとかGBHとかのUKハードコアとか、時代的にUSニュースクールとか、日本のそういうバンドも聴くようになりましたね。あと高校の同級生が普通にライブハウスでオリジナルでミクスチャーやってたり、そうゆうのを観に行ってたり。ちなみに大学で上京して初めて行ったライブはSwitch Styleでした。高3くらいの時に一番聴いてたバンドです。

上京してすぐにFARというバンドきっかけでどハマりしたのがエモーショナル系いわゆるエモですね。Sunny Day Real Estateが特にめちゃくちゃ好きで、Loftでライブも観ましたが未だにあれがベストライブです。

Sunny Day Real Estate ‎– How It Feels To Be Something On(1998)

日本のバンドだとその時期はenvyとかnine days wonderやBluebeard、Lovemenをよく観に行ってましたね。何かのライブで元Swipeの魚頭さんが自分の後ろで誰かと話してて、「もうすぐCD出すよ」とかそんな話をしているのが聴こえて。それで後々ライブ観てそれがThere Is a Light That Never Goes Outだった、っていう記憶がありますね。Kularaとかも初期から観てたんですけど、あのシーンでは一番好きなバンドでしたね。なのでやっぱり特殊なバンドが好きでしたね。僕は白のSGをずっと弾いてたんですがそれはkularaのヘツさんの影響です。

Kulara – 5 Pieces Songs(1999)

10代で色々聴いていたんですね。でもGBHとかラモーンズ好きになって、ニュースクールハードコアとかエモも好きになるっていうのも珍しいような気がしますね。

その辺りは雑食でしたね。東京出てくるまでは名古屋にいたんですけど、多分地方の人って流行ってるもの好きっていうか、最先端の方に興味が行く傾向はあると思うんですよね。名古屋だったのでS.D.S.とかもパンクとかの音楽にハマるきっかけだったんですけど、高校生くらいの時から「このジャンル聴いてるのがカッコイイ」みたいのはなかったですね。なので筋は通ってない聴き方をしてきたとは思うんですけど(笑)

10代の時とはわりと特定のジャンルしか受け付けないってことも多いと思いますけど。「こっちはカッコよくて、こっちはダサいんだ!」みたいな(笑)

まあもちろんパンクとかハードコア好きになったら、中学校の時にV系聴いてたのが恥ずかしくなったり、とかはありましたよ(笑)。もちろん今はそういうのは何もないですけど。

今もBUCK-TICKをスタジオの受付で流してますもんね(笑)

BUCK-TICKは好きですね、影響大です(笑)

でもそういう雑食的な感覚というのは、ある意味レコーディングエンジニアっぽい気質が最初からあったのかもしれないですね。

どうでしょうかね。たとえばパンクでもUKとUSは全然違いますけど、それぞれの違いが好きだったというか。でもジャンルが好きっていうより、「このジャンルのこのバンドが好き」っていう感じで、その辺は結構こだわりはありましたね。

まぁでも上京後は本当になんでも聴いてましたね。ちょっとバンドものの話ばかりになっちゃいましたが、実はバンドでガツガツやる前はクラブで何年も続いたレギュラーイベントのDJやってたりしてたし(笑)。まぁでもホントはそこが一番デカいかも。話しだすとキリがないですね。

今に繋がるような形でのバンド活動はいつ頃に始めたんですか?

元々UKハードコアとかメロコアとかエモのバンドとか色々やってたんですけど、どれも長くは続かなくて。自分は大学出てからESPに通ってたんですけど、skillkillsのスグルとkillieのウッチーが同級生だったんですよ。授業の一環でバンドを組む事になって自分が校内でメンバー募集かけたら2人が来てAlan Smitheeを結成しました。そこからがちゃんと活動するバンドをやり始めたって感じですね。

最初のドラムが脱退した時に、スグルの弟がドラム上手いらしいから上京させようって事でサトシが入ったんですけど、その後ウッチーがkillieを始めるタイミングで辞めて、3人で活動するんですがウッチーがいたころは思いっきりポストロックをやってましたね。なのでポストロック/マスロック、激情系のバンドとかと仲良かったです。heaven in her armsとか、killie、envyのヨシタケがやってたCleanerとかLITEやOVUMなどと対バンしたりしてましたね。

そのあとメンバーチェンジやらでAlan Smithee’s MAD Universeに名前も変わって、元々のサウンドからかけ離れたアヴァンギャルド、プログレ的な感じになっていって活動していたんですが、阿佐ヶ谷にスタジオを移転した時期に活動休止しました。それで4年後の2017年に再活動するんですけど、色々あってまた2019年に活動休止しちゃいました。解散ではなくてあくまで活動休止です(笑)

Alan Smithee’s MAD Universe-solid I(2017)

あとmoleslopeってバンドも10年以上在籍してます。henrytennisってバンドの鍵盤だった女性がリーダーでツインキーボードのカンタベリー系ジャズロックバンドです。そこで初めてトランペットでバンドに参加しました。CDリリースしていざレコ発も決まってたんですがコロナで中止になってしまって、それ以降なかなか集まれてないですが。

moleslope-SLOPE(2019)

自分たちのバンド、パンクやオルタナのライブではTranskamと一緒にやる機会が多いですよね。

Transkamは元々ドラムのヤナ君が自分となんかやりたいって話になって、遊びでスタジオに入りだして結成したんですよ。二人でしばらくやってたんですけど早い段階で絶対ベーシストは必要だなって話して。TACOBONDSのベースだったユッキーがピンと来たので彼女を誘って3ピースになりました。今は彼女はお休みしてるので、また二人でやってるんですけど。音源などの作品は変わらず3人でやれればと。

Transkam-EP2(2018)

Transkamでは国内でも精力的にライブをやっていますが、海外のいろいろな場所でもツアーをしてきましたよね。

そうですね。アメリカに3回行って、その間に何回か台湾でもやりましたね。アメリカは東海岸で、DC、ボルチモア、フィラデルフィアとかでやって。

アメリカに呼んでくれたのは、マイキーっていう日本にも来ていたUnfair Rootsってバンドのドラマー、その前はOsceolaってスクリーモバンドのボーカルだったんですけど、元々TACOBONDSをアメリカに呼んだりもしていたので、ベースのユッキー繋がりで誘ってくれました。彼はポストハードコアとかエモの仲間が多いので、向こうでライブやる時はその手のバンドと一緒にやることが多かったですね。ボルチモアのクラウンっていうハコのスタッフでもあったので、そこを拠点にして色々他の場所も組んでくれて。ストリップのあるイベントとか(笑)

一回目から自分たちは調子良くて、物販も全部売り切れたりして。二回目はフロリダ半島だったんですけど、マイアミとかオーランドとか回って、その時も結構盛況に終わって。二回目の時にMercury Programと対バンしましたね。昔ジャパンツアー観に行ったことあるバンドなんで感慨深かったです。

Transkam & Mercury Program(2018年フロリダ)‎

三回目は2019年に行きました。フロリダの南からフィラデルフィアとかの方に北上して行って。その時はフロリダのゲインズビルで毎年行われているThe Festに参加しました、No Idea RecordsのTony Weinbenderが始めたフェスです。JAWBREAKERとかJAWBOXとかしっかり観てきました(笑)。あと昔好きでよく聴いていたThe Casket Lotteryとも別日に一緒にやれたり、嬉しかったですね。

向こうに三回も行くと仲良いバンドが居たり毎回見に来てくれるお客さんも居て良いですね。僕らはインストでギターループを重ねて反復していくスタイルのバンドなんですが、向こうの人達曰く僕らはマスロックらしいです。

帰って来てからもマイキーとお互いにまたやろうねってのはあったんですけど、その後はコロナで2年間潰れたので行けずになってますね。でも今でも彼からちょいちょい連絡はしてくれてて。また行きたいなと思ってるんですけど。

そのつながりでアメリカのレーベルから音源を出すことは無かったのですか?

出す話は一瞬あったんですけど、その時期に新しい曲が無かったとかそんな理由で出してないんですよ。Unwed Sailorっていうバンドとスプリットを出さないかって話だったんですけど。Unwed Sailorは元Pedro The Lionのベーシストのジョナサンがやってるバンドで、めちゃめちゃカッコいいんですよ。

台湾はどういう繋がりで行ったんですか?

東京のインストバンドのshuhariと自分たちは仲が良いんですけど、彼らは台湾とか中国に頻繁に行ってて向こうでも人気があって。高雄で”We Are South”っていう音楽フェスの1回目があってそれに一緒に出ましょうってなって、他にPOROROCKS、Nobuhiro Okahashi君と4組でツアーを組みました。2度目の台湾はそのフェスの2回目に出演する流れで組みました。その時は台北のRevolverってハコでMUSHA×KUSHAと一緒に出ました。

僕らも満州候補者で台湾でライブしましたけどいいところでしたね。会場はThe Wallっていう結構大きいとこでびっくりしましたけど。コロナが明けたら一緒に行きたいですね(笑)

行きたいですね(笑)。台湾はめっちゃ好きですし。あとはGROUNDCOVERで自分がトランペット吹いてる時も行きましたね。あらかじめ決められた恋人たちへ、KIRIHITOと一緒に回ったんですけど、台北のPIPEってハコが工場みたいな感じでクレーンとかあって。めちゃくちゃお客さん入っててビックリしましたね。

Transkamの今後のリリースの予定はありますか?

今はないんですよね。ただ、これまでアルバムを2枚とカセットも出しているんですけど、全部アメリカに行く時に無理やり作ってるとこもあるんですよね(笑)。海外ツアーがあるから作らなきゃ、みたいなのはやっぱりあるじゃないですか。なので次は自分たちのタイミングでそろそろ作りたいなって思ってるんですけど。

音源は自主のZot Recordsから出してたんですけど、スタジオよりZotって名前はそっちが先なんですよ。自分で音源を出したいからレーベルを始める、自分で録音をしたいからスタジオをやるっていう感覚ですね。ただ、次の作品は他の人のレーベルから出したいですね(笑)

DIYも大事ですけど、任せられるところは任せたいですよね(笑)。何もかもできるわけではありませんし。

でもStudio Zotの10周年記念コンピレーションCDは出そうと思ってます。Studio Zotを長年使ってくれてたり、縁があるアーティストを集めたコンピがあれば面白いなと。10周年期間中に出せればと。

それは楽しみです!この場でも是非紹介させてください。今回はありがとうございました。