NOINONEというバンド、小文字の歴史を紡ぐこと。

text by Hyozo / 野流

毎週水曜日に幡ヶ谷ForestlimitでやっているK/A/T/O Massacre(変わった名前だが、古着屋NOVO!のカトーさんがオーガナイズしているのでこの名がある、エクスペリメンタルなビートミュージックを中心にエッジーで新しい表現が日々集まる)というシリーズに何度か出演する機会があり、そこで一度だけ一緒になったTagaくんというDJ/ギタリストがいる。

彼は普段DJとして、またmoreru小腸分裂というバンドではベースを担当、新世代ならではのエッジーなヴィジュアル感覚や都会的でノイジーなセンスを炸裂させているのだが、最近hYouU€a(ヒョーカと読むらしい)という新しいサイケバンド、しかもディジュリドゥ担当のメンバーもいるらしい……を結成したとのことで気になって久しぶりにForestlimitへと足を運んでみた。

だが惜しいかな、千葉からの電車の乗り継ぎの煩雑さやら今月折った足が痛むやら雨が降り続いているやらで思った以上に時間がかかってしまい、現場に着いた頃には彼らの出番は終わってしまっていた。

トランシーなテクノが流れる中、残念で如何ともし難い感情に襲われながら改めて小さな場内を見回してみると、これが大変に混雑しており、バーカウンターで注文をするまでに人波をかき分けるにも一苦労な状態。客層はおそらく40代以上が中心で、しかも皆遊びに年季を感じる風貌の猛者ばかりだ。一体どのような集まりなのだろう。

この日は特に知り合いがいるわけでもないので静かに飲んでいたのだが、どうやら次に始まるのは主催のNOINONEというバンドで、Tagaくんはそこでもギターを弾くようだ。だいぶ年が離れたバンドでやるのだな、などと考える間に始まった彼らの演奏は、良い意味で期待を裏切ってくれるものだった。

トランシーでミニマルなシンセサイザーのリフとぴったり同期するドラムが生み出す世界はまさにトランス、だがそこにノイジーで空間を埋め尽くすギターがレイヤーを重ね、インストパートでも激しく踊り続ける運動量の多いヴォーカルがシンプルかつ本質的なメッセージを訴える。クラウトロック、ハードコア、ダブ、ヒップホップ、ジャズ、ブルース、それら全てが内包する本質を共有しながら、そのどれにも似ていない質感。

それは90年代以降のレイヴカルチャーを肌で味わっている人間のみが放ちうるミクスチャーなスタイルでありながら、表現にパンキッシュな新鮮さもあり、踊れるという意味で徹底的にライヴ現場志向の音楽だった。

演奏が終わった後色々と尋ねてみると、なんとTagaくんの父親がかつてNOINONEに在籍していた縁でのバンド参加だったのだという。カウンターのそばには二人の娘を抱っこしながら参加する女性もいたし、どうやらForestlimitは親子二世代にわたってクラブカルチャーが継承される貴重な空間であるようだ。

親子に限らず、世代を超えて継承される文化は歴史だ。NOINONEのサイトでは「歴史」の恣意性にまつわる記述がいくつかあり、結成20周年という彼らが重視している概念とも思われるのでその一つをご紹介したい。

“まずは行動して、成功も失敗もシェアする。

そうやってバトンを繫いで既存のマーケットから脱獄する方法を見つけたい。(中略)

あと、もうひとつ目的がある。

歴史が取りこぼしていく星の数ほどの魂を記録することだ。

出来事を記録することは、その空気、息づかい、人生を、歴史という物語の中に刻み込む作業だ。

僕は、NOINONEという現象を伝えるための物語を始めようと思う。

誰かが作った歴史に埋もれることを拒否して。”

https://noinone.com/

ウクライナ侵攻、東京オリンピック2020にまつわる収賄、安倍晋三国葬、森喜朗銅像設立、大物小物問わずどれも大文字の「歴史」に一行でも名を残そうと必死な老人たちの悪目立ちがいよいよ目に余る昨今だが、インターネットの普及がそのような硬直した歴史観を変えた現代、芸術や音楽は時代や国境を越える力があることを皆知っているし、良いものは良いと発信することも簡単になっている。

かつて日本に喫茶の文化が伝来してから千利休たちが侘茶を確立するまでには300年以上かかったらしいが、その精神性は400年経った現代にも残っている。

今では自分の理想を通すために切腹する必要は無くなったとはいえ、喧伝される大文字の歴史(そのほとんどは戦争と支配の歴史)を疑いつつYoutubeで推される数多の陰謀論、SNSのドゥームスクローリングで入ってくる他人の義憤、それら情報の奔流に流されないようにするという難しいバランス感覚が求められるようにもなった。

アンダーグラウンドとされている文化は常に、今あるこの世界に違和感を覚えた人々によって支えられている。ライブ現場に行き、レコード(=歴史)に記録されていない音楽を見届ける、そしてフロアの一人として誰かと関わることは、今あるこの世界を変えるバタフライエフェクトになりうるはずだ。江戸アケミが言ったように「おまえはおまえの踊りをおどれ」で良いのだから。