Interview-Masayuki Takeda/ゴヰチカ 後編

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-武田さんの音楽遍歴について教えてください。

ABBAとかBeatles、Rolling StonesとかCCRとか、親のレコードが家にあって、それをかけて聴きながら寝るっていうのが小さい頃のルーティーンでした。それが自分の音楽の原体験かもしれないです。初めて自分で買ったCDは小学生の時で、スピッツの「空も飛べるはず」と忍空というアニメの主題歌のシングルです。

小中学生のときは音楽について考える生活ではありませんでしたね。高校入ってから色んな世界を知りたいなと思って。雑誌か何かで見たのがきっかけで知ったWrecking Crewってバンドがいて。まだインターネットとかもあまり発達してない頃ですけど「ライブを観に行きたい!」と思って一人で高円寺GEARに行ったのが最初のライブ体験ですね。体育祭の練習後に一人で電車に乗って学ランで行きました。

その時はBack HornとかCOCK ROACHも出てたんですけど。あの辺のシーンって柏とか水戸の人たちだったんですよ。千葉LOOKあたりでもパンク、ハードコアとかメタルのバンドが多くて。ちょっと柏とは違うんですけど、その辺りの時代感みたいなのを掘り下げていった時にNukey Pikesにハマって。リアルタイムではないとはいえ色んなジャンルの音楽を取り込んでいるサウンドに衝撃を受けて、その後自分が色んな種類の音楽を聴くきっかけにもなりましたね。その後にDischordとかSSTとかそういったパンク/ハードコアのレーベル界隈を好きになる感じです。あとはUKメロディックとか、Snuffy Smileとか好きでしたね。

-高校生の時にレコード屋に通ったりしてたんですか?

レコード屋は千葉のユニオンでした。20年前のユニオンは今よりすごく面白かったですね。売り場が広かったのもあったと思うんですけど、ジャンルごとの濃さが違ったんですよね。だから行く度に全然知らないレコードを買うっていうのを自分に課してて。それで色々な音楽を知ったっていうのはあるかもしれません。高校が木更津だったんですけど、駅前にミントンハウスっていうCD屋さんがあって、確か二年生のときに閉店してしまったんですけど、あの猛毒のCDが最後たたき売りされていて。悩んだまんま買わなかったことを今も悔やんでいます(笑)

あと家の近所に岡島電機っていう家電メインの電機屋さんがあって、そこに小さいCDコーナーがあったんですよね。そこになぜかカクバリズムの角張さんが始めたStifeen Recordsの最初のコンピレーションCDが並んでいて飛びついたり。

-岡島電機は千葉県内にあるチェーンの電機屋さんですね。

そうなんですか?ローカルの店かと思ってました(笑)。多分音楽好きな店員さんが強引に仕入れたと想像するんですけど(笑)。それを買ってからは角張さんのやってることが気になり始めて。そのあたりのシーンがすごい盛り上がってる時期でしたし、遠出して色んなレコード屋に通うきっかけになりましたね。

その後高校を卒業して東京農大に入学するんですけど、キャンパスが世田谷の経堂で。東京エリアが生活圏になって、下北沢も近かったので、それからは有り金を全部レコードにつぎ込んでました。

-大学生になって東京で一人暮らしを始めたんですか?

アパートは借りてなかったんですけど、大学の友人が学校の徒歩圏内に住んでいて。そこに荷物置いて半分住んでるみたいな感じで、休みの日に実家に帰ってました。置いてあったCDとかレコードはたくさん無くなっちゃったんですけど…

-大学生の頃は何を聴いてたんですか?

現行の日本/海外のパンク・ハードコアが多かったですね。2000年代前半は日本のシーンも盛り上がってましたし。

-自分たちも武田さんと近い世代ですが、高円寺20000Vとかで会ってたかもしれないですね。そんなにはいなかったですけど、あの頃は高校生とか大学生もパンクのライブにいましたよね。

そうですね。でもやっぱり同世代の人はあまり周りにいないなという感じではありましたけどね。

-今お店に置いてあるものはパンク・ハードコアよりポストパンクやエクスペリメンタルなアーティストが多いですが、そういうのを聴き出すのはもうちょっと後だったんですか?

同時進行でパンク以外のものも聴いてましたね。After HoursのCDやレコードが毎号付録にある本をとにかく読み漁って聴いて、たしかエストニアという国の音楽に感銘を受けたり、いつも新しい発見がありました。

-企画を自分でやったりとかはなかったんですか?

なかったですね。ハードコアをやってる友達とかがいるぐらいで。自分から活動したりって感じではなかったです。

-大学とかでバンドやってたり、サブカルチャーとしてハードコアが好きだって人とかは意外と多かったりしましたけど、その後いわゆるシーンとかに入っていく人は少ないですよね。

それは少数派だと思いますね。自分もプレイヤーではなかったので…後にDigraphiaでボーカルをやるボスさんと当時仲が良くて。若くして亡くなってしまったんですけど。岡山から東京に来たばかりの頃に友人の家で出会って仲良くなって、Pinpricksとか岡山のバンドのデモを沢山もらったり。なので当時から繋がりが多かったのはやっぱりパンクとかハードコアの人たちでしたね。

-その後大学を卒業して名古屋で働いてたとのことですが。

そうですね。サラリーマン一年目から名古屋に配属になって。縁も何もなかったんですけど。名古屋に行って驚いたのは…たとえば東京だとそれぞれの街ごとのカラーがレコード屋にも何となく現れているのがあると思うんですけど、名古屋の場合は市内の一部だけにギューッとアクの強いレコード屋さんがジャンル無用で集中していてビックリしましたね。

-名古屋の中古レコード屋のカルチャーはすごいですよね。ミュージックファーストとかサウンドベイ、バナナレコードとかグレイテスト・ヒッツ、Mersey Beatとか。それでさらに買いまくるようになったんですか?

そうですね(笑)。売値も良心的でしたし。そんなに買いまくってるっていう風には自分では思ってないんですけど、名古屋を離れたあとFILE-UNDERの山田さんと話した時に「武田君は熱心なお客さんだったよ」って(笑)

– FILE-UNDERは中古は置いてないですけど、自然と行くようになったという感じですか?

そうですね。実は名古屋で働き出すまではFILE-UNDERを知らなかったんですよね。

-確かに以前は僕らが観に行ってたようなハードコア/パンクのシーンとFILE-UNDERはそんなに繋がっていなかったかもしれませんね。なので山田さんがリリースしてるバンドだったり、自分たちとはまた違ったアンダーグラウンドのシーンの存在を知った時は驚きでしたね。それこそ10年くらい前ですけど、自分が名古屋に行った時にMilkのメンバーと一緒に行ったのが初めてでしたね。

FILE-UNDERが名古屋の音楽のイメージに与えてる影響は大きいと思いますね。あとArch Recordsというレコード屋さんが会社の近くにあって、そこも良く行っていました。

でもやはりFILE-UNDERの山田さん、STIFFSLACKの新川さん、元ANSWERの中村さんが僕の中ではやっぱり印象的で。レコード屋=店主さんそのものというか…「この店はこの人!」みたいな(笑)

FILE-UNDER RECORDSにて

-それは名古屋の独特の感じで、他の地域とはまた少し違う点かもしれませんね。

そうですね。店主さんの印象がすごく強いというか。当時、特別お付き合いがあったりとかではなかったんですけど、皆さんの印象が今でもすごく残っていますね。どことなく怖いし(笑)。話しかけられたのは通って半年ぐらいしてからだったと思います(笑)

-名古屋、愛知のバンドやアーティストもそうかもしれないですね。昔から今に至るまで強烈ですよね。文化的なんだけど良い意味でスマート過ぎないというか、ワイルドで野生な感じもあって。多くの人が自然と地元が好きという雰囲気も感じます。

札幌とか北海道のシーンもすごいなって感じていて、なんでこんなに面白いものが生まれ続けてるんだろうなって。そういう憧れみたいのもあったんですけど、名古屋ではそれに近いものを感じれたと思います。みんなやりたいことをやっていて、芯があるのが伝わってきました。

-名古屋では何年間働いていたのですか?

5年間いました。名古屋の後は一年間だけ富山に転勤で行きました。

After All Recordsに行ってたりはしたんですか?

行っていました。富山でお店をやるのは大変な面もあると思うんですけど、「マジでこれ売ってんの!?」みたいな7インチが置いてあったりして、嬉しくてよく買いに行ってました。

ライブ自体はお隣石川県の金沢が中心でガレージ、ロックンロール系が強いんですよね。そういえばメロメロポッチというライブハウスへライブを観に行った時、横断歩道で信号待ちしていたらFILE-UNDERの山田さんとばったり会ってビックリしたことがあります。ここまでライブ観に来るの!?って(笑)

-みんな金沢にライブに行った人は楽しい場所だって言いますよね。富山には一年しかいなかったんですか?

そうですね。そのタイミングでサラリーマンを辞めたんです。庭の設計や現場監督が仕事だったんですが、自分のやりたいことができてないなっていう気持ちが強くなっていて…

ちょうどその頃にryohadanoという浜松のアーティストの方が2枚目のアルバムを出して、たまたまFILE-UNDERで購入したんですよ。そしたらその曲の内容、メロディーがすごく響いて。仕事とか社会に対しての疑問…誰のために働いてるのか、誰が幸せになっているのかなとかすごく悩んでいる時期で。たぶんちょっと鬱っぽかったのかなと思うんですけど。音楽とも以前よりは接してない頃だったし、聴いたらボロボロ泣いてしまって(笑)

これはもう仕事を辞めよう、自分のやりたいことをやろうって思って。それで奥さんにも「会社を辞めて植木職人になりたい」って伝えて、千葉に戻ってきたという感じです。

ryohadano-ALGR​-​002(2012)

-植木の仕事はそこから学んだのですか?

そうですね。仕事を覚えられる所を探して、親方に付きました。独立したいという意向は最初に伝えて、実質4年半、修行させてもらって。それで一通りできるようになって独立しました。

-植木の仕事は子どもの頃からやってみたかったのですか?それとも仕事をしている途中から思い始めたのですか?

子どもの頃から生き物や植物は好きでした、でも植木屋になりたいとは思ってなかったですね。前の仕事が主に庭の設計だったんですけど、ちょっと違うんじゃないかな…と思い始めてから、自分がやりたいのは職人としての植木屋なんだって思いましたね。自分のできることであり、好きなことってなった時はそこですね。

自分で庭を作って植物と触れ合って、自分の為にもなるし、地球のためにもなるし、この仕事をやってく上では誰も悲しまないなと。大義名分は色々とあるんですけど(笑)、単純に好きなことやりたいという気持ちが強いんだと思います。

五井駅前の小湊鐵道直営によるCaféスペース”こみなと待合室”
入り口の植木は武田屋作庭店によるもの

-独立したのは何歳の時ですか?

独立したのは31ですね。その後5年を経て今、という感じです。

-修行期間は大変だったと思うんですけど、音楽を聴いたりライブに行ったりというのは、やはり昔に比べると少なくなっていたのですか?

そうですね、修業期間の頃は本当に離れてました。ライブにも行けるような精神状態ではなかったですね(笑)

-やっぱり大変なんですね。

そうですね。奥さんも大変だったと思います。給料も少なかったし。でも独立してからは好きなことできるようになりました。自分で考えて仕事ができるし、あと色んな人に出会えるようになりました。たとえば、地域の事を考えている若い人たちが地元の五井駅前でCo-Satenという場所を作って、僕にも仲間になってほしいと声をかけてくれたりして。

-それは植木屋さんとしてですよね?

そうです。地域の若手みたいな感じでピックアップされて。そこでは植木屋として参加しながら、里山環境の問題とか真面目なテーマの話のトークイベントを企画していました。ゲストを呼んで話してもらったりしてたことが多くて、ある時に武田さんらしい企画してほしいって言われた時に、その時はもう音楽しか頭になかったのでライブ企画したいって言って、思えば植木屋らしい企画を一回もしたことないです(笑)

-独立してからはまた音楽に触れる機会が多くなってたんですね。

そうですね。時間に余裕が出来たのもあって、いろんなものをまた聴きたいなって欲求が出てきたんでしょうね。自分が独立した時ぐらいに先ほどの ryohadano さんが4枚目のアルバムを出すのですが。それを聴いてやっぱりいいなって改めて思って。

ryohadano-songs(2018)

音楽イベントの企画をしたことははもちろん無いし、本人とも会ったことがない中で 「こういう者なんですが、千葉県の五井というところでライブに出てもらえませんか?」って内容でメールして。そしたら「いいですよ」って言ってもらえたんですよ。いきなりでびっくりされたと思うんですけど、僕もびっくりしました(笑)

それで千葉の柏で活動している偶然の産物こと三浦さんと、地元の友人でありSSWの松本佳奈にも打診して、三名で出演してもらって。会場はライブハウスのような場所ではなかったですけど、地域の人が来てくれたり、この手の音楽を知らない人もふらっと来てくれたりして。その光景がなんだか嬉しかったですね。

それが成功体験…といったら変ですけど、五井のような音楽の文化があまり生まれないところでもこんなことができるんだって思って。その経験がゴヰチカを始めるにあたって大きく力になってくれました。

元々僕自身はお店をすごくやりたいと思ってたわけではないですけど、ライブ企画をきっかけに、その後色んな偶然も重なってお店を始めたという流れです。

なので僕の生き方の要所にはryohadanoさんがいるというか(笑)。色々と大きな変化とかターニングポイントのきっかけになった方ですね。カセットはもう売り切れてしまったんですが今もCDを仕入れさせてもらっていて。カセットテープの良さを再確認したのもryohadanoさんの作品かもしれないです。

-特別にすごく好きになったアーティストの方や音源があるっていうのがいいですね。武田さんにとってメモリアルになってる、というか。

完全にそうですね。植木屋で独立してから、音楽を聴くのを再開した時にまず聴いたのもryohadanoさんの音源でしたね。それからまた色々なものを聴くようになって好きになっていって。

とにかくお店をやるにしても、ライブを企画するにしても、こんなに良いアーティストの人たちがいるので皆にも聴いてもらいたいっていうのが動機になってますね。

-それはやっぱりこういう音楽を扱うお店の方は皆そうですよね。自分のすごく好きなものを聴いてもらいたい、広めたい、というのがまずあるというか。なのでお店と並行してレーベルをやる方も多いんだと思います。

そうですね。僕らもまだレーベルってほどではないかもしれないんですけどA Little Society Tapesっていう名前でレーベルをやり始めました。「少社会」っていう造語なんですけど。最近はそこからHeidiというアーティストの方の、ゴヰチカでのライブを録音したカセットをリリースしました。

Heidi – AWAKE THE MOON(2021)

次出す音源も決まってるんですよ。ローバーミニが好きな友達がいて、好きが高じてmini_lifeというYouTubeチャンネルを始めた人なんですけど。そのチャンネルのサウンドトラックをカセットで出す予定です。

-それはだいぶ変化球のリリースですね(笑)

話もらった時も物凄い変化球だなって思ったんですけど(笑)。YouTubeチャンネルでしかもサウンドトラックっていう(笑)。でもその動画もすごく素敵で。チャンネル登録者数も3万人くらいいるんですけど、固定カメラを置いて、全部一人で撮影もしてて。映画好きが高じて始めたみたいです。

レーベルに関してはジャンル関係なく、できるだけローカル、アナログ感を出していきたいですね。一本目のリリースひどろはるかや、Heidiの音源はどちらもここで一発録音しているので、いわゆる良い音ではないですけど、生の質感がパッケージされていると思います。「作品はちゃんと良い音で録るべきだ」という方もいると思うので、そのスタイルは賛否両論あるかもしれません。

-でもレーベルを自分でやるっていうことは、ある意味では周りに文句を言わせない、みたいな部分もありますよね(笑)

そうですね(笑)。こういうのが良いと思ってるから作ってる、というのがまずありますしね。

あと前にやって面白かったのが、「面会」という配信ライブを企画した時なんですけど、オンラインで配信チケットを買ってくれた方にリターンとしてそのライブの音源をカセットにして送ったんですよ。ドタバタで作ったので、ちょっと至らない部分もあったかもしれないですが、これはやってて面白いなって思いました。

配信ライブだとやはりリアルで観に行くのとは違うので、何か手元に残るものがあった方がいいなと思いまして。ライブ配信を観てくれた人の分だけ作って送るという形でやってみました。

-それは確かにいいアイディアですね。実際になかなかライブを体感できないので、配信を観た時には何かあった方が嬉しいですね。ライブもお店の方でどんどんやっていきたいとのことでしたので、楽しみです。
最後に今お店でイチオシのアーティストを教えて下さい。

そうですね…最近だと植物に寄り添ったアンビエントですね。Mort GarsonのMother Earth’s Plantasiaとかが元祖だと思いますけど。たとえばUSのLeaving RecordsのGreen-Houseというアーティストがいまして、ジャケットに植物の種が練り込まれてて。土に埋めるとちゃんと芽が出て来るみたいです。音楽自体もとても気に入っているので、今のオススメはGreen-HouseのSix Songs For Invisible Gardensですね。

Green-House/Six Songs for Invisible Gardens(2021)