Interview-Kenji Ueda/I Wonder Why 音楽遍歴

取材-Bisco/episode sounds,Miyapon/in the middle

前回はUK滞在のお話を聞かせてもらいましたが、これまでの音楽遍歴とDJとしての活動についての話など色々聞かせてもらえたらと思うのですが

なんか恥ずかしいですね(笑)。中学二年の時にOASISがすごい好きだったんです。それでOASISが所属しているCreation Recordsも好きになって。そこから掘っていったらPastelsに当たって、その周辺のバンドを探していって。そこからC86っていうコンピレーションが好きになってネオアコとかギターポップとにハマったという感じですね。

Various – C86(vinyl reissue-2016)

-今もネオアコ、ギターポップのDJをされてますが、そこがやはり原点なんですね。

そうですね。あと両親がクイーン、ビートルズとかが好きだったってのがあって。母の短大の同級生でデヴィッドボウイのマニアの方がいて、学校に行くときもボウイのメイクをしてたらしいんですけど(笑)。なので親にとってもロックとかは身近だったのかもしれないですね。子どもの頃も、車の中でよくイギリスの音楽は流れてたので自分にとっても近い存在だったのかなって思います。

-中学の時にロックにのめり込んでいったとのことですが、バンドをやりたいとかはなかったんですか?

やりたかったんですけど、出身が兵庫県の北の方のど田舎で。スタジオもレコード屋も楽器屋もなくて、音楽の友達もいなかったのでバンドができなかったんですよね(笑)

-そうなんですね。高校生になったりすると、また環境が変わったりもすると思いますがどうだったんですか?

実は中高一貫の学校で周りの友達の変化がなくて(笑)。なので一人で自分の趣味をどんどん深掘りした時期というか。普通の友達はいたんですけど、音楽の友達はやっぱりいなくて。ひたすらブックオフとか中古CD屋さんでブリットポップとかを買い漁っていました(笑)

-早熟ですね(笑)。普通の高校だと色んな中学から人が集まってるから、自分で何かにのめり込む前に周りから影響を受けたりすることも多いと思いますが、中学から友達が変わらないが故にそうなっていったんですね。

そうかもしれないです。結果的にというか(笑)。一応趣味が合う子もいたりしたんですけど、その子は寮に住んでいたので買い物に行ったりとかがあまりなかったみたいんですよね。なので僕が貸すばかりで、相互に情報交換とかはあまりなくて。 
自分が高校生くらいの時に、ちょうどYouTubeが出始めたころで、ブリットポップとかシューゲイザーとかの自分が聴いたことなかったバンドを色々探したりもしてましたね。2005~6年とかだと思うんですけど。当時のYouTubeはアーティストがオフィシャルのアカウントでPVをアップするっていうのはまだ無かったと思いますね。一般の投稿者が録画したものをアップしているのが多かったですけど。

-たしかに当時はまだコンテンツが充実してなくてMVとかも海外の人が勝手にアップしているという状況で、音楽関係はそれがほとんどだった気がします。

そうですね。個人が録画したMTVとかがたくさんあった記憶があります。

-その後大学に入ってまた色々幅が広がってくるという感じでしょうか。

そうですね。軽音楽部に入ったんですけど、同級生とか先輩とかが色々な音楽を聴いてて。それまで日本の音楽とか知らなかったんですけど、邦ロックマニアの人と友達になったりとか。メタルのマニアの人とかジャズ好きの子とか色んな人がワーッと一気に集まって。その時期は色々な音楽を吸収していったような感じだったと思います。

-大阪ではレコード屋はどういうところに行ってたんですか?

キングコングやタイムボムなどによく行っていましたね。

-当時、大阪でネオアコとかを扱っているお店はそんなになかったと思うのですが、SYFT RECORDSというお店はネオアコと一緒にパンクも扱ってて結構買っていました。もしかしたらウエダさんが大阪にいる時期と、閉店した時期が重なっているかもしれませんが。

SYFT RECORDSは行けなかったんですよ。ちょうど自分が大学生くらいの時期に無くなってしまったかもしれません。あとは〇か×(マルかバツ)っていうレコード屋さんがあって、レコードが安くて学生の頃は助かったという記憶があります。

-大学生になって色々聴くようになって。でもやっぱり好きなものの軸はありつつというか。

そうですね。軽音楽部で自分発信でコピーする時は、ホラーズとかマイブラとかStone RosesとかのUKロックをやったりという感じでしたね。 その辺のシューゲイザーはやっぱりもともとすごい好きで。その頃Bloc PartyとかEditorsとか、ニューウェーブをかじった新しい第二次ブリットポップみたいのが出て来てて。来日公演をクラブクアトロでよくやってたので観に行ってましたね。その頃はその辺りのバンドがすごい日本に来てたので、ほぼ毎週のように一時期行ってました。

-当時はその辺りの来日が本当に多かったですよね。大学の時はわりとそのような生活だったと思いますが、音楽的に何か自分の中での変化というかそういったものはありましたか?

それまではCDをずっと買っていたんですけど、The Pains of Being Pure at Heartの来日公演に行った時に初めてアナログを買ったんです。それからアナログを買うようになりました。2009年とかだったと思うんですけど。

The Pains Of Being Pure At Heart ‎– The Pains Of Being Pure At Heart(2008)

小さいハコでほとんどお客さんも来てなくて。彼らはサラレコーズ、ロケットシップとか、なんていうか….ナヨナヨしたネオアコみたいのが好きって言ってて。その影響でその辺りのアナログとか出していなかったようなバンドも聴くようになって。そこから昔のネオアコとかギターポップとか、シングルしか出してないようなのを探したり聴き始めましたね。

-では割と今に近い聴き方とかはそれがきっかけという感じですか?それまでも色々聴いていたけど、急激にマニア化したというか(笑)

そうですね(笑)。そこから大阪だけでなく、日本中のレコード屋から通販するようにもなりましたね。自分の中での色んなきっかけはThe Pains of Being Pure at Heartかなっていうのはありますね。彼らはジャケットのアートワークがすごい良かったので、元々CDは持ってたんですがアナログで欲しいなと思って。当時は1500円とかで買えて。アナログって安いんだって気付いて。同じ新譜で買うならアナログの方がいいかなって切り替わった感じですね。

 -今は高くなっちゃってますけど、自分も学生のときにアナログを買い始めたきっかけは、CDより安かったからっていうのはありましたね。20年くらい前はアンダーグラウンドのパンクバンドとかはLPで1000円切ってたりもしてましたね。

そうですよね。なので今の若い人たちのアナログのハマり方とはまたちょっと違うかもしれませんね。なんでアナログで買うの?って聞かれたりもよくしますけど、音が良いからとかよりかは、安かったから買ってた時の習慣が単に続いているというか(笑)。癖というか。ただ、実際今沢山アナログを買う人ってそういうケースも多いと思うんですけど、お二人はどうですか?

Bisco-僕はCDは買わないですね。レーベルでリリースしたりしてますけど、やっぱりCDだと海外で流通できなかったりもするので、自分の中で価値が見出しにくいというか…ダウンロードもサブスクもある中では、CDを買うっていう選択肢はなくなってしまいましたね。若い人たちはサブスクをやってるからこそ、昔に比べて高くてもレコードを買うっていうのもあると思います。

Miyapon元々自分もCDかアナログかでそんなにこだわりは無くて。むしろ車にCDプレイヤーしかなかったので、CDばっかり買ってましたし。ただ途中からやっぱり海外はアナログがメインだから自分が音源を買う時はアナログにしようっていう意識は出てきましたね。自分の好きなタイプの音楽のメインのフォーマットに合わせた方がいいだろうって感じで。耳がいい人だったらアナログとデジタルの違いは明確に感じたりとかあると思うんですけど、正直あんまりそういうのは自分はわからないですね(笑)。なので音が良いからとかそういう理由で買ってるわけではないですね。

僕はクラブで大音量で聴いてる時とかも、DJブースに近づかないとCDかアナログかはわからないですね(笑)

-最近4ADのオーナーのサイモン・ハリデイのインタビューを見たんですが、「音質にはあまり興味がない」って書いてありましたね(笑)。もちろんそれは職人レベルのハイファイサウンドとかってことでしょうけど。

インディーレーベルのオーナーだと特にハードよりソフトにこだわっていると思いますね。多分どういう作品をリリースしたいのかっていうところにこだわってて、どのような環境で聴いてほしいとかは特にこだわってなさそうな気がしますね。

-その後大学を卒業して社会人になってから、どんどん海外からも直で買うようになっていったという感じでしょうか。

Norman RecordsとかRough TradeとかJunoとか、グラスゴーのMonorailとかから直で買うようになりましたね。アメリカからは送料が高かったのであまり買ってなくて。それでイギリスから買う方に慣れてしまったというのはありますね。

Rough Trade-イギリス滞在時に撮影
かつてはPastelsのメンバーも働いていたMonorail Records -イギリス滞在時に撮影

そもそも海外から買おうと思ったのは、欲しいものが日本に置いてないこともあったからですよね?

そうですね。Facebookとかでリリースの告知見て、日本では買えないだろうなってプレオーダーしたら、その後日本に入ってきて「失敗したな」とかもありましたけど(笑)

-自然に欲しいものを買って行ったら海外のレコード屋をチェックするようになったってことですね。

海外から買ったのはdiscogsが最初でしたね。送料とか出品者がぼったくってるのもありますけど(笑)

アメリカのdrive-in recordsっていう変なギターポップとかインディーロックをリリースしてたレーベルが好きだったんですけど、日本では中古とかでも全然なくて。東京とかにはあったのかもしれないんですけど、名古屋では見つからなくて。特にThe Autocollantsっていうアーティストが好きだったんですけど、この辺りをまとめて出してる人がいたのでdiscogsに手を出したという感じでした。

Drive-In Records(1996-2005)

-どんどんディープになっていくと(笑)

その頃にNHKに取材されたりもしました(笑)。名古屋のバナナレコーズの店長さんにNHKからレコードをたくさん若者を探しているという話があって、FILE-UNDERの山田さん経由で自分の名前が挙がって(笑)。夕方のニュースの「若い人がなぜレコードを聴くのか?」とかそんな内容のものだったと思うんですけど。「音があったかいからですかね」とか答えた記憶があります(笑)。音の違いわからないのに(笑)

-「レコードの方が安いから」だと、番組的にもアレですからね(笑)

「あとはジャケが大きくて良い」とかも行ったと思います(笑)。それは本心ですけど(笑)

ただ社会人になって名古屋に引っ越したんですけど、FILE-UNDERに行き始めたことがやっぱり一番大きかったですね。オーナーの山田さんに、お店で取り扱ってるものとは別に海外の新しいリリースの情報を教えてもらったりもしてたんですけど。それを海外のレコード屋からも買ったりして。

-FILE-UNDERを通して海外のレコード屋が自分の中で身近なものになっていったんですね。 

大阪にいる頃から、FILE-UNDERのレーベルのKnewNoise RecordingからリリースされたUlteriorっていうバンドの音源を持ってたんですそれをすごい気に入ってて「このバンドリリースした FILE-UNDER っていうレコード屋に行きたい」って思ってて(笑)

初めて FILE-UNDER に行った時も「何か探しているものありますか?」って山田さんが声をかけてくれたんですけど、「Ulteriorの2ndありますか?」って聞いて。「1stを出しているお店がここだって知って来たんです」っていう話になって。なので僕は名古屋に行く前から一方的に FILE-UNDER を知ってたんです。

-それからFile-Underに通うようになって、色々買ったり教えてもらったりっていう風になっていくんですね。山田さんも「ウエダ君の情熱は凄まじかった」って言ってましたけど(笑)

そうなんですね(笑)。名古屋にいる頃は日本のバンドも結構観に行ってたんですけど、山田さんに教えてもらったバンドも多かったです。MomentsとかOld Lacy Bedとか。NicfitもRippleで観に行ってたんですけど、イギリスにいる頃にUpset the Rhythmのイベントによく行ってたので、Nicfitが音源をUpsetから出すって話を聞いた時はビックリしました。自分の中で、名古屋とイギリスが繋がって感慨深かったというか。

-Nicfitのスージーもイギリスにいる頃にUpsetのイベントに行ってたみたいですね。

Upsetは本当に毎週のようにイベントをやってて。これはフライヤーなんですけど。結構アメリカのバンドもやってて。

Deerhoofとかも呼んだりしてたんですけど、普段Upsetがやらないような規模の大きい会場でやったりもしてるんですよね。やっぱり海外でもUpsetの評判が良いというかオーナーがアーティストから信頼されてるみたいで。たとえば昔Upsetから出したバンドがビッグになったりしてレーベルが変わったとしても、自分たちのツアーはUpsetにやってほしいって人が結構いるみたいで。僕もオーナーと話したことあるんですけど、すごくナイスガイでしたよ。

-他には日本のバンドのライブはどういうのに行ったりしてたんですか?

大阪にいたころは、日本のバンドはLemon’s Chairboyfriend’s deadなどの関西のシューゲイザーシーンのライブに行っていました。Lemon’s ChairはRingo Deathstarrのオープニングアクトで初めて観て、カッコイイなと思ってライブによく通ってました。その頃音楽とかライブレポートみたいのをmixiでちょこちょこやってたんですけど、それでLemon’s Chairのイマニシさんがコメントしてきてくれて繋がって。

その頃はバンド活動がしたくて大学以外でもメンバーを探したりしてたんですけど、イマニシさんがイベントにDJとして誘ってくれたんです。初めてDJをすることになったので、機材とか全然わからなかったんですが、CD-Rに好きな曲入れて持ってきてって言われて(笑)
一応直前にboyfriend’s deadのボビーさんという方に機材の使い方を教えてもらったんですけど、「これを右にしたら曲が流れるよ」って15分くらいだけのレクチャーで(笑)。それでぶっつけ本番でいきなりやるっていう(笑)

-それから今に至るまでDJは頻繁にやるようになったのですか?

そうですね。初めてのDJの時にボビーさんが選曲を気に入ってくれて。その頃は服装ともマッドチェスターみたいな恰好してたんですけど。ヨレヨレのTシャツにパーカー羽織っただけみたいな(笑)。当時はマンチェスターの再ブームもまだ来てなかったんですけど、「今時そんな恰好をしてる人いないから気に入ったよ!」と言ってくれたのを覚えてます(笑)。そこからボビーさんは自分のイベントにDJとして毎回呼んでくれるようになりました。

-それからはアナログでもDJするようになったと。

実はアナログでDJできるっていうことを最初知らなかったんですよ(笑)。ボビーさんがレコードでやっているのを見て「レコードでもDJができるんだ!」って(笑)。でもそこからさらにアナログを集める熱が高まったと思います。

-そこからはウエダさんの音楽活動のメインはDJという風になっていったんですか?

本当はバンドがやりたかったんですけど、周りにネオアコとかギターポップが好きな人があまりいなかったのでやれなかったという感じですね。「PastelsとかField Miceみたいのがやりたい!」っていう人がいたらよかったんですけど(笑)

The Pastels ‎– Truckload Of Trouble(1993)
The Field Mice ‎– Sensitive When Morning Comes To Town(1989)

-もうちょっと上の世代じゃないとそれは難しいですよね(笑)。年上の人とやるっていうのはなかったのですか?

余りその頃は年上の人と接点がなかったのもあるんですが、名古屋に引っ越してからは音楽の人間関係はイチから作り直すことになったのもあって中々バンドをやる機会がありませんでしたね。その後も友達とたまにスタジオに入ることはあったんですが、なんかサウンド的にしっくりこないことが多くて。結局バンドをやることは今に至るまでなかったですね。機材は好きで集めてたりはするんですが。

-DJをメインにやりつつも、楽器が好きで機材を集めている…けどバンドはやっていないって、珍しいケースですよね。

そうかもしれませんね(笑)。でもDJも音楽が好きだから流してるっていうだけで、自分からDJやイベントをすごくやりたいというタイプではないと思います。名古屋にいる時も、イギリスにいる時もライブの方が行ってましたね。DJイベントに行くのも好きなんですけど、自分がやるより人のを聴いて踊ってる方が楽しいですね(笑)

レコードを沢山持ってるので、誘ってもらえたらやっているというか。コレクター、オタクがたまたまDJをしているという感じかなと思います。なので選曲も名曲で盛り上げるというよりは、誰も知らないけどメチャクチャいい曲を流して一人でも踊らせたら勝ちだな、みたいのはあるかもしれません(笑)。どれだけ人と違うネタを揃えられるかっていうのは気を付けていますね。

-もう10年くらいはDJをやっているんですよね?

そうですね。名古屋にいる時にI Wonder Whyっていうイベントを共同やっていたんです。ローリングマンっていうお店があるんですけど、そこでネオアコっぽいイベントをやりたいっていう話になった時、お店の方が常連さん同士を繋げてくれて。3人で企画して第14回までやりました。

自分以外のメンバーはリアルタイムでネオアコとかを体験している方たちなので、年齢的には上の世代なんですが。グレイテストヒッツの店長さん、昔名古屋にあった円盤屋というレコード屋さんのスタッフの方々、レイルレコードの店長さん、バナナレコードの店長さん、HMV熱田店の店長さん、 FILE-UNDER 山田さんみたいな凄いレコード屋さんの方々や、Galaxy Trainレーベルのオーナーさんとかが来てくれてて。そういった方たちと繋がれたのも楽しかったですね。皆さんすごい人たちなので、囲まれてると緊張して回しづらかったりもするんですけど(笑)。その他にもZoo、サウンドベイの店員さんとかとも仲良くしてもらえたんですけど、名古屋にいた時は色んなレコード屋さんと知り合いになれたのも大きかったですね。

あとはOasis Nightってオアシスを流ひたすら流すイベントもやってたんですけど、主催の子が同い年でめちゃくちゃレコード買う人だったのですごく仲良くなって。その人と一緒にレコード屋さん行ったりしてました。なので名古屋ではレコ屋さんと知り合ったり、レコードを友達と買い漁ってたって記憶がほとんどですね(笑)。あとは名古屋じゃないんですけど、浜松のSone Recordsにもよく行ってましたね。店長のクワケンさんと知り合えたのも大きかったです。

-最後の締めで聞きたいのですが、ウエダさんの音楽への情熱の源は何ですか?もはや理由も何もないと思いますけど(笑)

何と言ったらいいんでしょうかね…うーん…惰性なんじゃないでしょうか(笑)

-(笑)。もうルーティーンに当たり前に組み込まれてるというか。毎朝、新聞を読むみたいな(笑)

そうですね(笑)。新人チェックは今だにずっとしてますし、Bandcampとかはやっぱりよく見てますね。習慣になっていることを続けてるという感じです。

イギリスにまで行っているわけですし惰性でそこまで追う人もいないと思いますが(笑)。今回はありがとうございました。