Russian Post-Punk Discovery Vol.5

text by Ashira/NOBODY

いつもは現行のロシアのポストパンクアーティストを紹介しているRussian Post-Punk Discoveryですが、今回は時を遡り90年代~2000年代のアーティストを紹介したいと思います。

この年代のバンドの記事をあまり見かけないのですが、現在のロシアン・ポストパンクシーンの礎を築いたとも言える重要なバンドがいくつも存在しています。その中から、今回はリイシューや音楽ストリーミングサービスで現在でも聴けるものを中心に4バンド紹介したいと思います。

Свидетельство о Смерти(Svidetelstvo O Smerti)

「死亡証明書」という名前を持つこのバンドは、ロシアのアストラハン地方にある都市ズナメンスクでБорис Кузьминにより結成された。1994年から2002年という長くはない活動期間ながら、7枚ものアルバムを残している。

初期の作品はアコースティックなスタイル(しかし爽やかさは皆無でむしろパンク的と言える)だが、2000年頃から徐々にポストパンク化していく。自宅でレコーディングされた彼らのサウンドは、いずれも2000年代前後のバンドとは思えないローファイでアンバランスな仕上りになっている。おそらく、何も知らずに彼らの音源を聴いた多くのリスナーはデモ音源だと勘違いしてしまうだろう。

しかしそれは彼らの音楽のクオリティが低いという事では決して無い。むしろそのローファイな質感は音楽への愛と衝動を輝かしく映しているし、バランスが良いとは言い難いミックスや、ボロボロと崩れ落ちそうな音のテクスチャーは、憂鬱・不安・焦燥といった感情を際立たせている。胸が張り裂けそうになるくらい拙く儚いアルペジオや、哀愁を纏ったメロディーに、気づけば夢中になっているはずだ。

代表作である6thアルバム『Привет』は    、2020年にサンクトペテルブルクのレーベルIconic PromoからCD・カセットテープ・ヴァイナルの3フォーマットでリイシューされており、コアな人気を証明している。

Свидетельство о СмертиПетля

Банда Четырех(Banda Chetyrioh)

Банда Четырехは1995年にモスクワで結成されたポストパンクバンド。

バンド名はロシア語でGang Of Fourを意味している。もちろんイギリスの同名バンドとは無関係だが、音楽性は影響を受けているらしくバンド名をそのまま拝借している。

また、中国で文化大革命を主導した四人組を指すGang Of Fourも由来となっている。国家ボリシェヴィキ党の政治活動にも積極的に参加しており、党員のために演奏することもあった。彼らの活動内容からも想像できる通り、政治・世界への反抗や自己破壊をテーマとした歌詞が多い。

サウンドもダークで荒々しく、Joy DivisionやBauhaus、Dead Kennedysといったバンドからの影響を連想させる。パンクをベースにしながらも、サウンドの振り幅は大きく、2000年代に入るとバンドのサウンドは徐々にアコースティックなものに変化していった。

現在の最新作である『Увольнение На Берег』では再び初期のようなパンク~ガレージサウンドを披露している。

Банда Четырех – Москве не хватает крови

Хуго-Уго(Hugo-Ugo)

Хуго УгоХуго-Уго –
Когда Дожди Встают Стеной(2019)

Хуго-Угоはソビエト連邦末期である1990年にトリヤッチで結成されたポストパンクバンドだ。

当初はアコースティックな編成によるバンドだったが、ギタリストのМаксим Котомцевが加入することで徐々に音楽性が変化していく。Максимは途中加入のメンバーながら、ほとんどのソングライティングとボーカルを担当し、バンドの中心人物となる。

Максимを中心とした体制で91年にレコーディングされた『Мотороллер』は、Joy Divisionの陰鬱なポストパンク、ガレージサイケからの影響を感じる乾ききったギターサウンド、さらにPere Ubuのノイジーで実験的な要素を取り入れたようなアートロックサウンドだ。

Максимのソロ作を挟んでリリースされた92年作『Мне Так Страшно 』はより完成度を高めた彼らの代表作である。中でもThe Velvet Undergroudやシューゲイザーの要素も感じるぶっきらぼうでノイジーなギターが魅力的な楽曲『Мне Так Страшно』は、90年代ロシアのポストパンクシーンに燦然と輝く名曲と言えるだろう。

積極的に活動を行っていた彼らだったが、92年にドラマーであったПавел Шпуровが自殺し、93年にバンドは解散してしまう。

その後長い年月を得て2005年にバンドは再結成したが、2007年にМаксимの急逝によりバンドは完全に消滅してしまった。

再結成後にスタジオで行われたリハーサル音源を集めたアルバム『67 mm』がマキシムの死後リリースされたが、オリジナルアルバムと遜色無い素晴らしい作品となっており、彼のソングライティング能力の高さに驚かされると同時に、このまま正式なアルバムが完成していれば…と悔しく思う。

非運なバンドだが間違いなく後のロシアのインディーシーンに多大な影響を与えた彼らの作品、是非聴いてみてほしい。

Хуго-Уго-Мне так страшно

Мать Тереза (Mat’ Tereza)

モスクワ州にある科学都市フリャジノで結成されたポストパンクバンド。

元々はНебесная Канцелярияとして1990年に結成されたバンドだが、多くのメンバー変遷を経て、1994年にМать Тереза (「マザー・テレサ)として活動を開始する。Александр Нектовを中心としたトリオ編成で本格的な活動を開始した彼らは3枚のアルバムを発表。

やはりこのバンドもJoy DivisonやBauhausの影響を感じるようなオールドスクールなゴシック・ポストパンクスタイルで、シーンの重鎮として君臨する事となる。その後もいくつかのメンバー変更を行いながら多くの作品をレコーディング。

代表作の1つである2011年リリースの『Поздно Домой』は元々CD-Rでのリリースだったが、2021年にヴァイナルやカセットテープでリイシューされている。こちらのアルバムは前述の通りゴシックなポストパンクを軸とするのは変わりないが、収録曲『Быль』等ではMogwaiを連想する叙情的な轟音ポストロックの要素を感じたりと、更に深い領域に踏み込んだようなサウンドを聴かせてくれる。

14枚目(!)のアルバムОбразыではさらにポストロックやスロウコアの要素が強まっており、長尺の楽曲が目立つ壮大なスケールに進化している。

Мать Тереза-Быль