グレッグ・ギンはなぜGrateful DeadのTシャツを着ていたのか その1
text by Miyapon/in the middle
「パンクとヒッピーは水と油」
パンクもヒッピーもその起源は遠い昔の話で、圧倒的なマイノリティになってしまった現代においてはピンと来ない感覚かもしれませんが、かつては同じサブカルチャーの枠の中においても、その間柄は非常に相性の悪いものの代名詞のようなイメージがありました。
決まり切った社会のレールに乗れない、または乗る気もない。精神の自由と解放が最重要、とにかく気持ちよくなりたい、はたらきたくない、反戦平等、などなど根源的な欲望や目指しているところは非常に似通った人たちのカルチャーなのですが、なぜウマが合わないのか。
一つの原因としては、物事への態度やコミュニケーションの取り方の違い、つまり超ざっくり言うとヒッピーが「愛と平和」であるのに対して、パンクが「怒りと破壊」であるからで、お互いに「お前ら気に食わねーよ」ということになりがち…といったところでしょうか。
今時そんなことはないと思いますが、パンクサイドの人がヒッピーミュージシャンに喧嘩を売る、とかそういうことも自分が若いころ、今から20年近く前にはギリ見受けられたりもしました。
そんな自分もご多分に漏れず、パンク/ハードコアにのめり込み始めた若い時分は「テキトー言ってる楽観的な偽善者め!」みたいな感じで、大した根拠もないわりに親の仇のようにヒッピーを嫌ってましたが、東南アジア旅行とかで会った東西のヒッピーの人たちは普通にいい人だったり、マウント取ってくる嫌な人もいたり、やたら楽器がうまかったり、単にパリピだったりして、みんな色々で普通に人間なんだなって感じでヒッピーという属性にどうこう思うことはなくなりました。(むしろ親しみを持つようになった)
まあそれはどうでもいいとして、自分の方でものちのち音楽や文化を通して次第にヒッピーカルチャーへの興味も湧いてきて色々と調べてたりもしてたんですが、その過程でむしろパンクとヒッピーはかなり多くの点で共通点があり、表面的にはいがみ合うことも多いが実のところはかなり性質が似ているものなんじゃないかという風に考えるようになりました。
実際、UKにしろUSにしろ、70~80年代のパンク/ハードコアの人たちはヒッピーへの嫌悪感を発言やら歌詞において露骨に表現していることも多いですが、やっぱりそれは上の世代に対する無意識の同族嫌悪という面もあったんじゃないかと思います。
「アメリカン・ハードコア(Steven Blush:2001年)」を読んでいても「嫌い」という人の方が多い印象ですが、やはり共通性を指摘したり好意や親近感を持っている人もそれなりにいます。とりわけヒッピーの発祥の地はサンフランシスコとされていますが、UKよりもUS、特に西海岸のオリジナル・パンクの人たちはやはりかなり共通したマインドがあるように思えます。
また、「ラブ&ピースの快楽追求主義者」のようなパブリック・イメージはある意味ではかなり局所的なヒッピー像なのですが、ヒッピーを嫌っているパンクの歌詞などを見ると多くはそのような点を攻撃している印象もあります。
が、ひとくちにヒッピーといってもミュージシャンもいればアート・パフォーマンス・グループもいるし、真面目に地域福祉をやっている人や過激なゲリラ的政治活動を展開しているグループもいたし、コンピューター・ヒッピーもいればハードコアな自給自足農村共同体に身を投じている人もいたわけで、簡単に一括りにはできない、かなり多様な存在であったと言えます。(もちろん狂気の薬物集団とかもいたとは思いますけど)
そんなこんなで色々とヒッピーを紐解いてみることは個人的にもかなり興味深く、色々と考え直すきっかけにもなりました。
とりわけ自分はUSインディペンデント・ミュージックのビッグバン兼ゴッドファーザーことBlack Flag/SST recordsのグレッグ・ギン(正確な発音は’’ジン’’とのこと)のやってきたことに色々とショックを受けて今に至ると言っても過言ではないのですが、彼はヒッピーたちのスター・バンドのGrateful Deadのファンであることを公言しています。(Black Flagの表現方法がヒッピーの先輩であるビートニクに近いスタイルに先祖返りしている点も興味深いですが)
グレッグ・ギンのインタビュー等を見ると、即興性など音楽面でのデッドの影響を語ることが多いですが(デッドの他にもマハ・ビシュヌ・オーケストラもかなりのお気に入りだったようです)、彼が取り組んできたDIYレーベル、反検閲、草の根コミュニティの形成、起業精神、非営利ビジネス、独自流通などの手法もデッドと同時代のヒッピー・カルチャーとかなり共通しています。
そして「ドロップアウトした個人の立場のまま、積極的に既存の社会や市場、価値観に介入する」というアティテュードもやはり共通している大きな特徴だと思います。
そういう意味ではBlack Flagの初代ボーカリストだったキース・モリスが後に結成するバンドの”Circle Jerks”というネーミングも意図的というか、パンク・ロック過渡期の彼のいら立っている内面を想像してしまいます。
当たり前かもしれませんが、初期パンクの人たちは自分達の世代のガチンコのカウンター・カルチャーに身を投じてるという自負や自覚が強くあり、その目線は外の世界に対して鋭く向けられていたのでしょう。
また、デッドのジェリー・ガルシアとミッキー・ハートはSSTからリリースしているNegativlandのEscape from Noiseに参加したりもしていて、かつてのカウンター・カルチャーの先人たちとグレッグ・ギンや周辺のアーティストたちは実際に人的交流もあったと思われます。Meat Puppetsやヘンリー・カイザー等SST関連の人たちはデッドのファンが多いのも特徴ですね。
ただ、ヒッピーもUSパンクもラディカルなイデオロギーありきというよりは、根底にはもっと漠然としたジャクソン民主主義的開拓精神とかのいわゆる「アメリカ的感覚」ありきだと個人的には思っているので、安易に「グレッグ・ギンのやってきたことはヒッピーから影響を受けている」とは言えない部分もありますが…
彼らの掲げたテーマは新しかったかもしれませんが手法の構造自体は非常にアメリカ的ですし、突然変異であると同時に、生まれるべくして生まれたという感じはやはり否めません。
それにちょっと近い話でもあると思うんですが、スコセッシが撮ったデッドのドキュメンタリー’’グレイトフル・デッドの長く奇妙な旅’’(2017年)で印象的だったシーンがあります。当時のデッドのツアーマネージャーが
”デッドはアメリカを再定義し、アメリカを発見したがっていた…アメリカ人とは何なのか、その問いを解く手がかりを探していた”
と振り返り、ラウシェンバーグのJFK、ウォーホールの銃、ジャスパー・ジョーンズの国旗などが暗示的に差し込まれるイカすひとコマなのですが、それは大げさでもカッコつけでもなく実際にそういう要素は確かにデッドは強かったんだと思います。ちなみに彼は「イギリス人はイギリスを探すために家を出たりしない」とも言っています(笑)
シンプルにカントリーが好きで演奏しているというだけでなくホワイト・アメリカンの大衆音楽を意図的に選択し、再構築をし続けた…こういう言い方をするとちょっと微妙かもですが、デッドの音楽はアート的な行為にかなり近いとも言えます。
もちろん他のカントリーやサーフをルーツとするロックミュージシャンたちにもそのような面は多分にあったかと思いますが、デッドはアヴァンギャルドな即興や長時間のセッション演奏などとにかくやり方が極端です。
その点ではたとえば、数々のBlack Flagのアートワークを手掛けたグレッグ・ギンの実弟レイモンド・ペティボンの作品もわかりやすく共通しています。彼は野球やサーフィン、コミック・キャラクターや大統領など、国民的娯楽や社会的アイコンをモチーフにしたドローイングで、アメリカのポップカルチャーやアメリカ人の集合無意識の再定義を試みています。
そしてもちろんグレッグ・ギンが取り組んできたこと、その取り組み方をトータルで見ていくと、彼もまた上の世代のアウトサイダーたちと同じように「アメリカを探す旅」に自ら進んで取り憑かれていたようにも思えますし、そこにBlack FlagやSST Recordsのカルトにも近いアート性、単に「クール」で片づけられない魔力の一因が潜んでいるような気がしてならないのです。
…と、のっけからあっち行ったりこっち行ったりで長くなってしまったのでいったん〆ますが、次回は自分の興味のあるヒッピー・カルチャーについても紹介しつつ、自分の思うUSパンクとの共通性などについてもうちょっと突っ込んで書いてみようと思います。
この手の話は、ヒッピーやパンクと直系ではないかもしれませんが現代のアメリカン・インディーのアーティストやインフラとも脈々と繋がっている流れだと思いますし(たとえば非営利メディアのKEXPなんかもモロです)、音楽やアート以外にもかなり広がりのある話だと思っています。なんにせよ、とっちらかってしまいそうな雰囲気が早くもプンプン出てていますが、ある意味プログレだと思って読んでみてください。
(おまけ)
そういえば自分はロックをあまり聴いていなかった10代の頃から不思議とデッドは好きで、超ベタですけどSkull&Roseは聴きまくってました。それでのちにそれより前から好きだったグレッグ・ギンがデッドのファンだって知ってなんか嬉しくなったもんです。(音楽好きの人なら皆それに近い経験があると思いますけど)
でも昔バンドでUSツアーに行った時、ピッツバーグのライブはAnnihilation Timeのジミーが色々と世話してくれたのですが、彼に「せっかくだからアメリカでデッドのTシャツ買いたいなあ!」って言ったら鼻で笑われました(マヌケ面してたのかも)。確かに彼はライフスタイル的にもヒッピーが嫌いな不良パンクスって感じでした。いいやつでしたけど。
そのサウンドのせいか決してMC5やStoogesや13th Floor Elevatorsのように「パンクの先輩」としては扱われることはありませんが、やはりデッドをプロト・パンクとする説もあったりするそうです。サウンドだけでなくその裏側のコミュニティ形成やビジネスの自主運営といった決して派手ではないが現実的な側面、つまりは空中戦以上に地上戦も重視するアメリカらしい感覚で面白いというか、やっぱそういうところは憧れてしまいますね。