ツバメスタジオ、「ビルの葬式」をめぐって

 text by 島崎 森哉 – 帯化/造園計画
photo by Hibiki Kimijima

 去年の夏頃、浅草橋にある録音スタジオ、ツバメスタジオがビルの老朽化により移転するということで、「ビルの葬式」なる会合が密かに執り行われた。その「葬式」には30人以上の音楽家が参列し、弔辞代わりの演奏を奉納した。

 普段はビルの7階を拠点としていたツバメスタジオも、その日はビルの4階から6階を借り切って、階段や廊下や踊り場で音楽家たちはセッションを繰り広げた。いわゆるロックバンド的な楽器の奏者の参加は少なく、電子琴やインディアンフルート、サックスやハープ、ディジュリドゥ、ピアニカ、そして数々の自作楽器など、あらゆる楽器を携えた音楽家たちがその「葬式」には集っていた。アヴァンギャルドやエクスペリメンタルという語で名指すより、「即興」と呼びたくなるような演奏は3時間近く続いた。

「葬式」の様子は映像作家、白岩義行氏によって撮影された
こちらの映像で見ることができる。

またツバメスタジオの主である君島結氏が主催するKOZOBUTU RECORDSから、その日の様子を収録した音源がリリースされている。

とはいえ、もちろん30人以上の音楽家たちがぶっ通しで3時間のあいだ演奏を続けるわけではない。それだけセッションが長いと、演奏をするつもりできたぼくらも演者でいつづけることができず、あるときは「観客」となり演奏を楽しむことになるし、その「葬式」の様子を記録した音源を聴くときも、自分の知らない演奏を聴くことになる。

 だからこの文章は、「葬式」に参加した一音楽家としての個人的な回顧でありながら、ディスクレビューでもあり、ライブレビューでもあるような、とても変な文章になる。しかしあの「葬式」はとても変な会合で、それを記録した音源もとても変な音源なのだから、そこで求められる文章もまた変なものになるのは当たり前のことなので、気にせず始めてみる。

 さて、この「葬式」に集まった30人余りの音楽家の共通点はひとつで、音楽を好き好んでプレイしていて、君島さんと知り合いというだけだ。だからこの「葬式」は何か一つのシーンを象徴するものではなく、あらゆるシーンのあちらこちらの断片が集まった、パッチワーク的なものだった。

 そもそもツバメスタジオは、GEZANや幾何学模様などのオーバーグラウンドに近い作家と関係のある場所であると同時に、多くのアンダーグラウンドな作家の作品が生み出された場所でもあり、また音楽と関係なく、ツバメスタジオにお茶を飲みに行くだけの人々が気軽に足を運べるような場所でもあった。

 友達の友達の友達…、という風に知り合いをたどっていくと数ステップ踏めば全世界の人間にたどり着くことができるとはよくいうが、君島さんのような人がいるからこそ世界はたったの数ステップで繋がってしまうのだ。いわば彼とツバメスタジオは、あらゆるシーンを結びつける地下水脈であり、テレポーテーション装置だ。

 そのようにしてあらゆる人々をつなぎ合わせていたツバメスタジオらしく、音源の方にはステレオイメージの左側に4階、中央に5階、右側に6階といった形でそれぞれのフロアでの演奏が配置されている奇妙なミックスが施されており、ビルの床や壁で互いに切断されていたはずの演奏を俯瞰することができるものになっている。セッションの序盤ではそれぞれのフロアの演奏の温度にギャップを感じるけれど、徐々に各々の階層が呼応しながら、柔らかさと心地よさに向けて合流していくのがよくわかるはずだ。

 また音源のなかには、セッションの合間に人々が話す声や機材をセッティングする音など、演奏以外の音が多く記録されているのも、この「葬式」の特性を象徴しているように思う。ツバメスタジオでのセッションは、「せーの」で始めるセッションと違って音楽家たちの入り時間もまちまちで、それぞれが時間内になんとなく集まって、なんとなく演奏を始めていく。ビルの4階から6階という空間的な自由と規制のなかでタイムラインは分裂し、絡み合いながら無数のセッションを育くんでいく。

 「名前も知らなければ口を利いたこともない他人とセッションをする」などと言ってしまうと、何か途方もないことのように思えてくるけれど、そうした経験は「他者との出会い」というような抽象的なことではなく、もっと身近なものを意識するきっかけにもなる。

 例えばぼくは「葬式」のなかで自分の「声」を使っていくつかのセッションに参加したのだけど、あらゆる楽器の演奏と自身の声をすれ違わせるたびに、自身の声が持つ質感や重さや輪郭が自分のなかに落としこまれていくような感覚を覚えた。恐らく思い切った演奏をできてしまうような気心が知れた相手とのセッションよりも、初めて出会った他人とのセッションの方が、自身が日々使っている楽器と演奏が持つ性質がどういったものなのか、ヴィヴィッドに意識することになるのだ。

 あらゆる楽器とそのプレイヤーとのコミュニケーションを通して、ぼくらは自分の操る音がどの楽器のどの音とバッティングするのか、あるいは自分の操る音がどの楽器のどの部分と協働できるのかを探っていく。ぼくらは他者を知るように自分を知り、自分を知るほど他者を知ることになる。

 このような感覚的な話はぼく個人の視点に過ぎないかもしれないけれど、あらゆるシーンとシーンが橋渡しされながらも、同時に人々がうまくコミュニケーションをとっている、そんな魔法のような時間があの日のツバメスタジオに流れていたのは確かだと思う。

 でも一方で、ツバメスタジオをそうした階層横断的で、自由が宿る場所だと言い募るばかりなのもどこか違和感がある。いまぼくの頭には、ツバメスタジオの小さなキッチンでお茶を淹れる君島さんの背中が浮かんでいる。

 ツバメスタジオで録音を始める時、彼はまずお茶を淹れるところから始める。「いい天気ですね」とか何でもないような会話をしながら、すこしずつ録音の話が始まり、徐々に準備に入っていく。

 「葬式」の日には流石の彼もお茶を淹れていなかったけれど、uminecosoundsというバンドのメンバーが店主を務めるカレー屋、ウミネコカレーのスパイスカレーや、酩酊麻痺というバンドのメンバーが経営している八百屋、ヒゴロ青果の惣菜など、豪華なケータリングが用意されていた。

 そして彼はお茶を淹れない代わりに、機材のセッティングをしつつ、各所で人とコミュニケーションを取り、果ては「廃墟になったはずのビルに不法侵入をしている輩がいる」という通報を受けてやってきた警官に事情説明をするなど、八面六臂のごとき働きをしていた。

 あの日、セッションの「気持ちよさ」を享楽したぼくらも、その「祭り」が終わった今、あの「葬式」に宿っていた自由や横断性がひとつの時間と空間と、あるエンジニアリングのなかで成立していたことを考えなければならないのではないか。「祭り的」な自由のためのエンジニアリングが‪──‬あるいは「工夫」とか「アレンジ」といった柔らかい語のほうが似合のかもしれない‪──‬あの日のツバメスタジオのそこかしこに息づいていた。

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 2022年の年の瀬に、小伝馬町に移転した新ツバメスタジオにお邪魔する機会があった。新しいスタジオは前よりも広々としていて、録音のためのフロアの他に、演奏や展示を企画するためのフロアを作っている途中らしく、塗装途中のフロアも見学させてもらった。

 見学がひと段落してから、いつも通り君島さんは暖かいお茶を出してくれた。ぼくがお土産の和菓子を取り出すと(彼は自他共に認める大の甘党なのである)、「最近お客さんが続いていて、甘いものが飽和しているんです」といいながら笑っていた。

 「人の出入りが多い場所に巣を作るツバメが住まうようなスタジオにしたい」というツバメスタジオの名前の由来を聞いたことがあるけれど、新ツバメスタジオも旧スタジオと変わらず、人とツバメと甘いものが行き交うような素敵な場所になりそうだ。