ダムドという名の深き森-episode2
text by Tsuneglam Sam/YOUNG PARISIAN
前回、”ロンドンパンク初のアルバム”とされるダムドの1stは果たしてまったく新しい音楽だったのか? という視点で時にいやらしく時に無理やり解剖してみたが、初期ダムドを語る上で重要なポイントをひとつ記さないでいた。それは1976年にリリースされたダムドの1stシングル『New Rose』のB面『HELP!』のことである。もちろん忘れてたわけではなくそこに触れるとまた別の森を彷徨うことになるからだ。
HELP!- The Damned
『HELP』はご存じのとおりザ・ビートルズのカヴァーである。1stアルバム『DAMNED DAMNED DAMNED』には収録されなかったが、これこそがまさに“新しい”ロックンロールであり、ロンドンパンクの大革命ナンバーだったのではないだろうか。前項ではダムドの1stに組み込まれてるガレージ~サイケやドールズ臭、デトロイト感について分解してみたのだが、この高速『HELP!』はそれらのどれとも違う得体のしれないなにかがギラつきザワめき、あっ!という間に駆け抜けていく。
(余談中の余談ではあるが、1986年サザンオールスターズの桑田佳祐が企画した音楽番組『メリー・クリスマス・ショー』で吉川晃司とBOOWYが『HELP!』を高速カヴァーしてたのだが、コレが後々思えばダムド・ヴァージョンをお手本にしてたのにはびっくりだ。)
さて、ダムドは多くのパンクスの期待に反して決してビートルズを忌み嫌ってたわけではない。それについてはキャプテン・センシブルも否定している。つまりこれはちょっとした権威への挑戦だと考える方がよいであろう。キャプテンがわざとベースをチューニングせずにこの曲をレコーディングしたのもその気持ちの表れだ。そんなわけでこの『HELP!』こそが1stアルバム収録曲以上に過去をぶった切った新たなロックンロールの形―すなわちパンク―ではないかと思うのだ。
そしてこの『HELP!』を大絶賛したのがかのマーク・ボラン。1977年3月にダムドはマークのラブコールを受けT.REXのツアーに同行。マーク・ボランいわく「センスのいいメンバーが僕のTシャツを着てたから」というのが抜擢理由らしいが、そのメンバーとはキャプテン・センシブルのことである。
ダムドのキャプテンがT.REXのTシャツを着ていた。
……これ活字にしちゃうとあっけないが実はものすごく重大事項である。あーキャプテン好きそうだよね〜。で、終わらせてくれるな。よく考えてみておくれ。上の世代に全方位で唾を吐いていたと思われていたパンクが70年代にTシャツが存在するくらいの大スターのそれを着てライヴもやってたんですよ。これよっぽどのことだぜ。他にパッと思い当たるといえばスティッフ・リトル・フィンガーズのヘンリー・クリューニーが同じくT.REXのTシャツを着てたくらいではなかろうか。
細かいことかもしれないが、こういう些細な事実こそ見過ごしちゃならんのではないかと私は常々思うわけです。そうじゃないと都合のいいセンセーショナルな事柄のみがあたかも唯一の真実かのように生き残っていきますからね。
デイヴ・ヴァ二アン
「当時(※結成時)のキャプテンはまるでマーク・ボランのような恰好をしてたんだよ。マークみたくおもいっきりパーマがかかったデカいヘアースタイルでヴェルヴェットのフリンジがついたジャケットを着てたからね。キャプテンはマーク・ボランの大ファンだったんだ」
私がインタビューした際にデイヴはバンド加入時のキャプテンの様子をそのように語っている。一方、キャプテンにはセーラー服やバレリーナの恰好などステレオタイプなパンクファッションをしなかったのは何故か?と尋ねてみた。
キャプテン・センシブル
「僕はマーク・ボランの大ファンで大好きなんだよ。彼はいつもドレスアップしたかっこしてただろ? 彼はね、パンクロックの価値をわかってたんだよ。パンクロックが素晴らしいものだってことを。当時はほとんどの奴らがパンクロックをクソみたいだと思ってただろうな。だけどマーク・ボランはパンクが好きだったんだ!彼は頭が良かったからね。60年代のビートルズや、50年代のリトル・リチャードがそうだったように、パンクロックが新しいロックンロールだってわかってたんだ」
キャプテンのあの歌舞いたキャムプなファッションはマーク・ボランからヒントを得ていたようだ。
モッズ~ヒッピーともいえないアシッドフォーク〜グラムロックと歩んできたこの時期のマーク・ボランだが、その先の進む道としてパンク/ニューウェーヴを無視せずに取り入れていくか、ソウル/ディスコに進むべきかを考えていた頃だったのではなかろうかと思うが、ダムドをツアーに同行させ、自らが司会を務めるTV番組にジェネレーションXやブームタウン・ラッツ、ザ・ジャムなどを出演させた功績は非常に大きい。まったくもって偉大なる人物だ。アンプのセッティングからレコーディングに関してまでダムドにアドバイスをくれたというマーク・ボラン。ダムドはオープニングアクトをつとめただけではなくT.REXのアンコールで『Get it On』を共にセッションしており、その様子はブートでも聴くことができる。
T.REX/マーク・ボランに関してダムドから何故わたしがこんなに発言を引き出せてるかというと話は簡単で、取材時に私がT.REXのTシャツを着ていたからに他ならない。そのおかげでキャプテンはマーク・ボランの人間性の素晴らしさも含む多くのエピソードを語ってくれ、そればかりか取材後のライヴ(サマソニ)では客席にいる私を指さし(正確に言うと私のTシャツを指し)、「マーク・ボランに捧げる!」と前置きして『Smash it Up』をプレイしてくれたのだ。因みに『Smash it Up』 のパート1のインスト部はマークの訃報を聞くやいなやキャプテンが部屋に閉じこもって一気に書き上げたそうだ。
Smash It Up Parts 1 & 2-The Damned
せっかくなので、ここでダムドとグラムロック関連のお話をもう少々。
まず、スウィートの『Ballroom Blitz』をダムドが素晴らしくカヴァーしてるのは有名だが、実はモット・ザ・フープル/デヴィッド・ボウイの『All the Young Dudes』をカヴァーしているのも知っておいていただきたい。また、ゲイリー・グリッターもダムドと関連があるのだがこれはおってまた書くとする。
それからボウイの相棒ミック・ロンソンは『MACHINGUN ETIQUETTE』のレコーディングでキャプテンにギターアンプを貸すほどの交流があったとのこと。因みにラット‣スキャビーズは家の近所にミック・ロンソンが住んでおり、よく遊ぶほどの仲だったらしい。これは私のバンドがラット・スキャビーズ&ブライアン・ジェームスと2012年に共演した際、ラットが直接教えてくれたことである。
ラットとは2016年にMUTANTSとして来日した際、下北沢のPOOR COWにて再会することができたのだが、その時ラットに「なにか聴きたいレコードありますか?」と尋ねたところ、彼が即答したのは……なんと「SLADE」だったのだ!
そうか、あのダムドのメンバーが日本にきてリクエストするレコードはスレイドか……。なんとも感慨深いではないか。THE WHOでもキンクスでもMC5でもストゥージズでもなく、スレイド。たしかに多くのパンクバンドに影響を与えまくったバンドではあるが、ダムドもそうだったか……なーんて遠い目をしていたら某ロックの先輩が「ツネ!これなんだ?」とおっしゃるので、スレイドですよ!となぜか得意げな私。しかしスレイドのことはスル―で「プラズマティクスかけてくれ!」と先輩。いや、これラットのリクエストなんですよ、と私。「……いいからプラズマティクスかけてくれ」と食い下がってくるも無視させていただいたのは全くの余談です。
このようにダムドとグラムの関係はかなり深い。そこにニューヨークドールズまでも入れるとすると深き森は靄だらけになってしまう。
元々「グラムとパンクは地続きである」……というのは私の持論なのだが、つまりはパンクに手垢がつきすぎてきたとこでニューウェーヴと呼ばれるようになり、ニューウェーヴがナウくなくなったんでオルタナティヴなんて言い方に変わっていったのと同じく、グラムロックの流行が過ぎ去りそうな時にその呼び名をリモデルしたのが実は「パンク」だったのではないかと思うのだ。
もちろんパンクはパブロックやハードロックなどの影響も無視できないので全部が全部そうではないし、第一波パンクから影響を受けた者たちがすぐにソレを「パンク」として確立させているのでこの説には違和感はあるだろう。だが、こういった(ちょい)上の世代の既存のロックと実は地続きであったにもかかわらず、それを分断してパンクを“全く新しいもの”にみせたのはマルコム・マクラーレンの手腕であり、その戦略が成功したことによるものではなかろうか。
いうなればこれは、従来のプロレスとはちゃいますよーと言う顔してガチンコを売りにしたUWFの戦略と非常に近い。しかし後になって思えばUWFは格闘技ではなく純然たるプロレスである。それと同じようにパンクもパンク以前のロックンロールとは無関係のはずがなく、一皮めくるとほぼ同じ顔した血縁関係にあるのは間違いない。
そのようなことを濃厚に感じさせるパンクバンドが特にセックス・ピストルズであり、このダムドなのだ。ただ、にもかかわらず、これまでまったく聴いたことのなかったように感じさせる“なにか”を持っているのがパンクロックの魅力であり奥深さであろう。冒頭の話に戻ると、ダムドはビートルズの楽曲を利用してその“なにか”を我々に知らしめ続けてくれている。
そんなダムドが次にリリースしたのは……げっ! 言いたいことが多すぎて2ndまで辿りつかなかったではないか。。。
この続きはまた。