DJ Takeuchi081の中南米音楽旅行記 その3
text by Takeuchi081-DJ/Ti Punch
パナマから日本に帰る前に、マイアミ経由でテキサスへ向かう。目当てはテハーノミュージックという音楽。その生まれた土地に行ってみたかったのだ。(パナマ編その1、その2はこちら)
テハーノミュージックを知ったきっかけは、Steve JordanのPura Jaleaという曲。コロンビアのクンビアというラテン音楽のリズム、どこかしら漂うファンキーさ、エフェクトの効いたアコーディオン等々なんとも良い感じである。
そんな音楽がテキサスにあるのは、アメリカ南部が元々メキシコだったことと関係がある。テキサスの人口の40%弱を占めるメキシコ系テキサス人の音楽なのだ。メキシコ北部のノルテーニョと呼ばれる音楽と同じ系譜にあたる。
メキシコ北部にはドイツ、チェコ、ポーランド移民の街がある。1930年代、Narciso Martinezは旅をして各地をまわる演奏家だったが、それらの移民の街を訪れた時にブラスバンドの曲を覚えアコーディオンに置き換えるようになった。
その後メキシコ式12弦ギターとのデュオを結成し、それがConjuntoと呼ばれるようになる。このCojuntoが、その後アコーディオン、メキシコ式12弦ギター、ドラム、ベースの編成となったものが、テハーノミュージックの主要な形の一つになっている。
旅の話に戻ろう。はじめに訪れたのは南部の町サンアントニオ、テックスメックスのメッカの一つとして知られる町だ。外に出ると、数日前までいたパナマとちがってカラッと乾いた空気に、テキサスに来たのだという気分が高まる。ぶらりと入った店で朝食をとる。小麦粉のトルティーヤ、豆の煮たもの、卵、アメリカンコーヒー。
テックスメックスと呼ばれるこのご当地料理。日本ではメキシコ料理として紹介されていることがある。メキシコで食べられているメキシコ料理とは異なるのだが、これはこれで美味い。テックスメックスはテハーノミュージックの別名でもある。
サンアントニオの中心部から少し離れたところにあるJanie’s Record Shop。サンアントニオのテハーノミュージックシーンを支えてきた店だ。
店内はパペルピカドというメキシコの民芸の切り絵で飾られている。先日取材されたそうで、近々メキシコ系アメリカ人の音楽についての本に載るらしい。
夕方頃テハーノミュージック大御所歌手Carlos Mirandaのサイン会があると聞くも、予定があるため後ろ髪をひかれつつ店を後にした。
次に向かったのは海沿いの町、Corpus Christi。1980年代テハーノミュージックシーンに現れ世界的なスターとなったSelenaがバンド活動を始め、亡くなった町だ。
Grey Houndという庶民向けの長距離バスで、南東へ数百キロ移動する。窓から見える畑はどこまでも続くかのようだ。ロードムービーで見たことがある、アメリカのあのスケール感だ。
Corpus Christiに着いて向かったのはFreddie Records。おそらくテハーノミュージック最大のリリースを持つレーベルだ。
レーベル名の由来であろうFreddie Martinezの諸作のほか、Sunny and the SunlinersやSteve Jordan、Little Joe、Augustine Ramirezといった著名アーティストを多数リリースしている。
現在代表をつとめるMarc Martinezに話を聞くことができた。下記はその一部だ。
MarcさんはFreddie recordsの代表ということですが、あなたとFreddie Martinezさんとのご関係は?
Freddie Martinezは私の父です。私は一番下の息子です。
Freddie RecordsはFreddie Martinezさんの作品をリリースするために開業されたということなのでしょうか。
そうです。私の父は1969年の11月にたった400ドルでレコードレーベルを始めました。父と母で、ですね。最初の数年は父だけがレコーディングアーティストでした。1973年には他のアーティストが合流しました。
1971年にレコーディングされたBotoncito de Carinoが父の最初のヒットでした。1973年にはTe Traigo estas Floresがビッグヒットになり、USとメキシコですべての扉が開かれました。神様のおかげで成功をおさめました。
Musica Tejanaという本で、Freddie Recordsは最も重要なレーベルの一つと書かれていました。今まで自分が集めたレコードを見ると、70~80年代に沢山のタイトルを出されているかと思いますが、どのくらいのタイトル数をだされていますか?
それともう一つ。Sunny and the SunlinersやSteve Jordan、Little Joe、Augustine Ramirezなどをリリースされているかと思いますが、どのようにしてそのような著名アーティストを獲得することができたのでしょうか。Freddie Martinezさんの交流関係によるものなのでしょうか。
Freddie Recordsはインディペンデント系のラテンレーベルでは最大のものです。現在までに数千のタイトルをリリースしています。70、80年代、私たちには多数の成功したアーティストがいました。素晴らしい歴史を重ねることができたのは恵まれていたのだと思います。
大半のアーティストが、すでに一度あるいはもっと他のレーベルで録音していました。彼らはみなツアーで共演したことで父のことを知っていました。レーベルが良い方向に伸びているの見て、彼らから父に電話があり、その後は知っての通りです。
彼らは友人でした。私たちは成功を収め、祝福され続けています。テハーノ、ノルテーニョシーンのどのアーティストも、一回以上はFreddie recordsと録音しています。Sunny and the Sunliners、Agustin ramirez、Steve Jordán、Little Joe。彼らはラテン音楽業界のトップラインのアーティスト達です。
テハーノミュージックの今日のシーンについて教えてもらえますか?どのような音楽が流行っているのでしょうか?Kumbia Kings のような若い世代のミュージシャンについてはどう思いますか?
今日のテハーノミュージックのシーンは、私の目にはかなり良く写っています。シーンは1970〜2000年代、今までにかけて変化してきました。
私が変化というのは70年代にはテハーノオーケストラと呼ばれたもののことです。Freddie Martinez、Sunny Ozuna、Augustin Ramirez、Joe Bravo、Carlos Guzman、Carlos Miranda、Little Joeをはじめとした沢山の偉大なアーティスト達です。
80年代にはGrupo Mazz、La Fiebre、La Mafiaらテテハーノミュージックの新しいグループが出てきました。90年代までそれは続きました。
1996-97年頃、今ではTejano Lightと呼ばれているものが現れました。Intocable、Increíble、Intenso、その他にも沢山います。
これらのアーティストは、少し多めにアコーディオンとメキシコ的なフレーバーを加えています。多くのオーディエンスに演奏され支持されるためです。特にメキシコ、メキシコ地域のラジオステーションで、です。
現時点でもテハーノミュージックは決して終わっていません。これから何年も何世代も続くことになると信じています。かつてのように売れることはないでしょうが、どの音楽もかつてのように売れていないでしょう。
テハーノミュージックに関しては、レコードショップのディストリビューションが不足していると感じます。音楽ショップでのテハーノの供給は多くはないのです。理由は分からないですが。共有されれば、間違いなくレコードのセールスに違いが出ると思います。
それに、素晴らしいテハーノミュージックの中には、デジタルダウンロードストアでも買えないものがある、というのもあります。過去数年Freddie recordsのカタログをできるだけデジタルダウンロードストアに加えようとしています。それが未来の新しい形です。
最近流行しているのは、例えばSolido、Jimmy Gonzalez Y Grupo Mazz、Elida Reyna Y Avante、Jay Pérez です。これらのアーティストの音楽は実に人気があります。より若いKumbia Kingsのような世代は、大衆に受けているように感じます。若者のスターです。
ほとんどのアーティストが、彼らのような若いファンを欲しいでしょう。でも、個人的にはその音楽をテハーノだとは思っていません。私にはもっとヒップホップ的なものに感じられるのです。
サンアントニオに戻り、メキシコの物が沢山あると聞き、マーケットスクエアへ。パペルピカドで飾られたメイン通りを歩くと、メキシコの民芸品店が並んでいる。観光地的な場所のようだ。
屋台で売っているメキシコ式のタコスが美味い。少し進むと、ステージでメキシコ系と思われるバンドがファンキーなソウルを演奏している。
テハーノミュージックの多くはRanchera(ここではポルカのビートで歌のある曲を指す)なのだが、その他のリズムも少なからず存在する。1940年代以降にR&B、ロック、カントリーといった米国音楽やボレロ、マンボ、クンビア のような当時のラテン音楽、1960年以降にソウルやファンクの影響を受けている。米国やメキシコからの影響が複雑に絡み合っている。
冒頭に書いたSteve Jordanの曲に漂うファンキーさもまた然りだろう。Little Joeの1970年代の演奏では、コロンビアのクンビアとファンクが混ざった曲なんてのもある。
キューバのマンボ、コロンビアのクンビアはメキシコから来たのだろう。メキシコとマンボやクンビアの関わりも気になるところだが、その辺りについてはまた機会があれば。
最後ですがテハーノミュージックに興味を持った方は、いくつか本がでているので読んでみたらいかがでしょうか。
こちらとか。
旅先で見つけたお気に入りの音源をラジオにしてMIXCLOUDにアップしたので、こちらも良かったら。
01-00:00 Steve Jordan / Oaxaca
02-02:49 Tortilla Factory / Tecate
03-05:14 Kris Bravo / Gozala
04-07:49 Royal Jesters / Chicanita
05-10:26 Sunny and sunliners / Por una cosa
06-13:30 Mexican revolution / El diablo
07-16:24 Diablo band / Theme from diablo
08-19:38 Tortilla factory / Pina colada
09-22:27 Showband USA / Aqui estare
10-24:37 Steve Jordan / vamos a tratar
11-28:25 Roberto Pulido / El primer vestido largo
12-31:38 Rey Romero / Talk to me
13-36:20 Sunny and the sunliners / Tormento
こうして初めての中南米旅行(北米もか)は終わったのが、この時すでに次の旅先も心に決めていた。初のカリブ海、プエルトリコだ。
(続く)