Yugoslavian New Wave Guide
text by Ashira/NOBODY
これまでin the middleでは現行ロシアのポストパンクやファンク、それ以外にも東欧のファンクを紹介する記事を中心に書かせてもらったが、今回は時代を遡り80年代旧ユーゴスラビアのニューウェーブシーンについて書こうと思う。
今までの記事でも少し触れたように、ソ連やその構成国であったエストニア等、所謂共産圏と呼ばれている地域にも、入ってくる情報は少ないながらも豊かな音楽シーンが存在していた。それは他の東欧諸国でも同様であり、中でもユーゴスラビアの80年代に作られたニューウェーヴの楽曲の数々は、今聴いても驚くようなクオリティを持つアーティストが多数見受けられ一際大きな輝きを放っているように思う。
ここでユーゴスラビアという国について簡単に触れておこう。
ユーゴスラビアはかつてヨーロッパのバルカン半島北西部に存在した連邦共和国だ。1918年に南スラブ系の多民族最初の統一国家であるセルビア‐クロアチア‐スロベニア王国が成立し(後にユーゴスラビア王国と改称)、1963年には社会主義連邦共和国となる。
セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、モンテネグロ人の多民族が住む中、ティトーの指導の下に独自路線の社会主義国家として成り立っていた。その後1991年に構成国の独立が始まり、2006年には連邦としてのユーゴスラビアは完全に消滅した。
社会主義国と聞くと政府による厳しい検閲や文化・言論等の統制が行われているイメージを思い浮かべる人も多いと思うが、ユーゴスラビアでは指導者であったティトーによって構築された自主管理社会主義型という独自路線の政策により、ソ連など他の共産圏の国と比較すると文化面での規制もかなり緩やかであった。
そのため、1970年代後半に誕生したパンクやニューウェーヴといったロックミュージックの新たな潮流も、ほぼリアルタイムで伝わっていたようだ。
実際に、The ClashやPublic Image Limited、The Stranglers、Talking Heads、Gang Of Fourなど多くのパンクやニューウェーヴのレコードがユーゴスラビア国内のレーベルから正式に発売されていた。(余談だが、より文化的統制の強かったソ連の人々の中には、ユーゴスラビアに旅行に行った際に、ソ連では入手困難な西側諸国のレコードを持ち帰っていたという話も聞いたことがある)
西側諸国の最新の音楽情報を入手できていたユーゴスラビアでも、当然のようにニューウェーヴを演奏するアーティストが出現する。ユーゴスラビアのニューウェーヴはノヴィ・ヴァル(Novi Val)と呼ばれ、国内で大きなムーブメントとなり人気を得ていた。
ここではユーゴスラビアで活動していたニューウェーブ・バンドの中からいくつかの楽曲を紹介していきたい。
Idoli – Plastika
Idoliは1980年にベオグラードで結成されたロックバンド。パンクやスカからの影響を感じる軽快なサウンドでユーゴスラビア初期のニューウェーヴシーンを代表する存在である。
活動期間は短いものの、Idoliは商業的にも成功、後に多くのバンドにもカバーされており最も影響力の大きいバンドと言われている。
この楽曲は、同じくユーゴスラビアのニューウェーヴの立役者である Električni OrgazamとŠarlo Akrobataによる、当時のニューウェーヴ熱を象徴するコンピレーションアルバム「Paket Aranžman」に収録されている。
Električni Orgazam – I’m Waiting For The man
前述の通りユーゴスラビアでは西側諸国の音源を入手しやすい環境や文化統制の緩さといった背景からか、西側のアーティストのカバー曲も少なくない。
こちらは Električni Orgazamによるカバーアルバム「Les Chansones Populaires」からの1曲で、原曲は言わずと知れたThe Velvet Undergroundの大名曲である。
このアルバムには他にもDavid Bowieの「The Man Who Sold The World」やT.Rex「Metal Grue」等60’s~70’sのロックの名曲をニューウェーヴ風のアレンジで収録している。言語は英語で歌われているが、やはりどこか東欧らしい匂いを感じるサウンドを是非堪能してほしい。
Du Du A- Ja Tarzan, Ti Dzejn
Du Du Aは1981年にGrupa Iの元メンバーである Dejan Kostićを中心に結成されたバンド。
Dejan Kostićはニューヨークでサウンドプロダクションを学んでいた経歴があり、その経験からか当時のノーウェーヴシーンの空気感をダイレクトに吸収しているように感じる。
彼らのサウンドはファンク、レゲエ、ノイズ等実に多様な音楽性を取り入れており、アフリカ音楽からの影響も色濃い彼らのデビュー曲「Ja Tarzan, ti Džejn」はユーゴスラビアで最初にラップを取り入れた楽曲と言われている。他にもユーゴ版Suicideとも言える。
「Ja Ne Bi, Ne Bi, Ne Bi」など名曲多数収録のアルバム「Primitivni Ples」は非常にクオリティが高くオススメだ。
Videosex – Moja Mama
1983年にIztok TurkとJanez Križajにより結成されたスロベニアのシンセポップバンドVideosex。
セルフタイトルの1stアルバムはユーゴスラビアのニューウェーヴを代表する傑作の1つで、2019年にはオランダのレーベルRush Hourからレコードも再発されている。
彼らの代表曲である「Moja Mama」のように、ユーゴスラビアのアーティストの楽曲はキャッチーなメロディーのものが多く、耳慣れない言語であるにもかかわらずかなり聴きやすく感じる。イタロディスコにも通じるような煌びやかなシンセも素晴らしい。
Max & Intro – Ostavi Sve
セルビアのカルト・ニューウェーヴアーティストMax VincentがMax & Intro名義でリリースした唯一の7inch「We Design The Future」収録曲にしてユーゴスラビア・シンセポップ屈指の名曲。
「未来をデザインする」という素晴らしいタイトル通り、ミニマルで洗練されたシンセサウンドや美しいメロディーは当時としても革新的であり、現在に至っても世界中のアーティストに影響を与えている。
Max & Introを解散してソロとなったMax Vincentはその後もアーティスティックな楽曲を作っていたが、惜しくも2004年に他界した。
Morbidi I Mnoći – Put
ユーゴスラビアにもゴスロックやダークウェーヴをプレイするアーティストが存在した。
このMorbidi I Mnoćiはボーカル/ギターのMilorad Milinković により1985年に結成されたバンド。陰鬱なボーカルやギター、ぶっきらぼうなリズムがBauhausやSisters Of Mercyを彷彿させるゴシックなポストパンクサウンドで非常にかっこいいが、残念ながら音源はリリースされていないようだ。
なお、Milorad Milinković はバンド解散後、映画監督に転身し大成功を収めている。
Romantične Boje – Tišina
こちらもダークウェーヴ/ゴス要素のあるバンド。Romantične BojeはボーカリストのZoran Cvetković Cveleを中心として1983年から1986年に活動していた3人編成のバンド。
先ほど紹介した Morbidi I Mnoćiよりもシンセが前面に出ており、「ロマンチックな色」を意味するバンド名通り耽美的な雰囲気も強い。
彼らの楽曲は当時の音楽評論家からも高い評価を受けており、頻繁にラジオでもオンエアされていたが、レコード会社と契約を結ぶには至らず、正式な音源がリリースされないまま活動終了してしまった。
しかし30年の時を経た2016年にDoomed To Extinction Recordsより当時レコーディングされていたアルバムがリリースされ、ようやく日の目を見る事となった。
Disciplina kicme – Mama tata
ユーゴスラビアのニューウェーヴシーン…いやユーゴスラビアの全音楽シーンの中においても特にユニークな存在と言えるのがこのDisciplina Kičme だ。
Disciplina Kičme は初期ニューウェーヴを牽引したバンドŠarlo AkrobataのメンバーであったDušan Kojić Kojaが1981年に結成したバンドである。初期はパンクやハードコア色の強い、荒々しく衝動的なサウンドであったが、80年代後半に入るとホーンセクションが加入し、ファンクやヒップホップの要素を取り入れたスタイルに変化していった。
ホーン以外のバンド編成も、ギターレスでツインドラムという変則的なラインナップで当時としてもかなり実験的な試みを行っていたように思う。
スカスカしたサウンドでありながらしっかりとファンクネスを感じるリズム隊、華やかなホーンセクション、そこにKojaによるラップが乗るという彼らのスタイルは、90年代に所謂ミクスチャーと呼ばれたサウンドに通じるものがあるが、これが80年代ユーゴスラビアで鳴らされていたのは驚異的なことだろう。
以上、ユーゴスラビアのニューウェーヴから8曲紹介させてもらいました。
冒頭でも触れたように規制の緩さや西側からの情報量の多さからか、リアルタイムな西側のニューウェーヴの影響や憧憬が濃ゆく表れており、言語さえ英語ならアメリカやイギリスのバンドと言われても納得してしまうようなものも多い。
しかし、やはりそれだけではない東欧ならではの民族的メロディーであったり、独自の言語の響きといったアイデンティティーと混ざりあい、実に個性豊かなニューウェーヴサウンドを生み出しており非常に興味深い。
もちろんこの記事で紹介したアーティスト・楽曲はほんの一部であり、まだまだ膨大な数の楽曲たちが今は亡きユーゴスラビアには残されている。Morbidi I Mnoći のように、正式にリリースされないまま眠り続けている驚くべき音源も存在するだろう。 ユーゴスラビアの音楽に興味を持たれた方は是非Youtube等を通して視聴したり、レコードやカセットテープを探してみて欲しい。
音源のほとんどはクロアチアやセルビアといったかつての構成国からでないと入手は難しく、値が張るものも多いが、アートワークも東欧独特の美意識に溢れるものが多く、苦労して手に入れる価値は十分にあるだろう。